国宝を観る

国の宝を観賞していくサイト

国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

書跡

円珍贈法印大和尚位並智証大師諡号勅書 小野道風筆 東京国立博物館

国宝の中で観る視点で全く別の内容での展示カテゴリーが複数ともに国宝指定に相応しいものはそれほどない。円珍贈法印大和尚位並智証大師諡号勅書は宗教と書跡の両面で国宝クラスとなっている。 宗教面は円珍が大師の称号に相応しいと認定された点で、天台宗…

伝教大師入唐牒 延暦寺

最澄と天台宗のすべて展は2021年秋に東京国立博物館で始まり、冬が九州国立博物館、そして2022年春に京都国立博物館と巡回した。共通する展示もあったが、それぞれの地域に合わせた展示内容となっていた。だが、あまり認識されていないようで、京博には大混…

【東博150年】白氏詩巻 藤原行成筆

藤原行成は平安時代の貴族で、官位は正二位・権大納言と高い位に収まる実力者である。そればかりか、当代の能書家として小野道風、藤原佐理とともに三跡と讃えられた人物である。 書道家としては小野道風・王羲之を学んで、和様書道を完成させた。のちに世尊…

【東博150年】三宝絵詞

三宝絵詞は、984年に源為憲が編纂した仏教説話集。仏・法・僧の三宝を上・中・下3編に収め、上巻は釈迦の過去世を伝える本生話、中巻は聖徳太子以下18人の偉人の伝記、下巻は仏教行事の解説と説話を記し、各巻に序をもつ。仏教に関する話をカテゴリー分けし…

【東博150年】王勃集巻

唐時代初期の文人、王勃の詩文集。沛王に仕えたが、左遷され、旅の途中29歳で水死した悲劇の天才。若くして詩や文才が開花し、初唐の四傑に数えられている。彼が作った詩文を集めた文書で、見つかっているもののなかでは最古のものである。死後、10年余り…

【東博150年】碣石調幽蘭第五

丘公の作と伝える「琴譜」を抜書きしたもの。丘公は楚調を得意し、97歳まで生きた。琴の曲「幽蘭」の弾奏法を論じたもので、美しい楷書で書かれている。現代ならばCDのライナーノーツの名文を美しい字で書き上げた秀作といったところだ。 レア★★☆観たい★★☆…

【東博150年】古文尚書巻第六

孔子の編纂と伝えられる歴史書。漢の時代に見つかった尚書を、当時の人が読みやすい通行文字に書き換えたものが今文と呼ばれる。その対義語として書かれた当時の文字そのままが古文と呼ばれる。 唐時代初期の書写と考えられ、平安時代中期の朱と墨の訓読の書…

【東博150年】与無隠元晦法語 馮子振筆

元の文人である馮子振が書いた書。 馮子振は中峰明本や古林清茂ら多くの禅僧と関り、多くの僧が教えを乞うた師匠にあたる。その中で法語は無隠元晦へと贈った七言絶句3首を揮毫したものである。無隠元晦は豊前の人、1308年に元に渡って中峰明本のもとで修行…

【東博150年】法語(破れ虚堂) 虚堂智愚筆 

南宋の僧・虚堂智愚は径山万寿寺の第40世住持となった高僧である。多くの禅僧が日本より学びに訪れ、大徳寺、妙心寺両派に大きな影響を与えた。 堺の富商で茶人の武野紹鷗の愛玩で、その後に京都の豪商大文字屋の所蔵となる。その時に使用人が蔵に立てこもっ…

【東博150年】印可状(流れ圜悟) 圜悟克勤筆

圜悟克勤は北宋の僧。徽宗皇帝や、南宋の高宗皇帝の尊崇を受け、碧巌録の著者として有名。印可状は弟子の虎丘紹隆に与えた印可状の前半部分で、現存する墨蹟で最古のものである。この墨蹟が桐の筒に入って薩摩の坊ノ津海岸に漂着したという言い伝えから、流…

【東博150年】尺牘 大慧宗杲筆

宋の禅僧である大慧宗杲は圜悟克勤の下で臨済宗を修めた。宋が金に攻め込まれ南へと押し込まれた時期の僧侶で時代に翻弄された。宰相の秦檜が金と和議を結んだことに端を発した。大慧に従う修行者の中に和議に対して異議を申した者がいたため、大慧に対して…

【東博150年】尺牘(板渡しの墨蹟) 無準師範筆

無準師範は南宋の禅僧。万寿寺の第34代住持である。弟子には鎌倉仏教を広めた無学祖元(円覚寺開山)、兀庵普寧(建長寺の第2世)や、日本から南宋に渡って印可を受けた聖一国師・円爾弁円(東福寺開山)らがいる。 尺牘は弁円が帰国した翌年の1242年に万…

【東博150年】法語 了庵清欲筆

元時代の禅僧である了菴清欲は、名僧として名高い古林清茂の弟子である。日本の修行僧たちは大陸に渡って了菴のものへ訪れて、教えを乞うた。 法語は日本から来ていた僧・的蔵主が修行を終えて帰国するときに求められて書いたものである。言わば餞別品である…

医心方

東博150年の記念展でも間違いなく出品される医心方。この度、修繕を終えた記念として30巻一度に見せる展示を行っている。 医心方は日本に現存する最古の医学書で、984年に丹波康頼が、中国の多くの医書を引用して病気の原因や治療法をまとめた大全書…

【東博150年】法隆寺献物帳

法隆寺から皇室へ献納された品々を保存するという事業は戦後に皇室から国へ移管されたことから東博で行うようになった。一般公開は1964年からで、1999年の現在ある建物(2代目)ができて大々的に公開されるようになった。 法隆寺から皇室に献上された品は30…

【東博150年】細字法華経

法隆寺は言わずと知れたお寺である。寺で大事なものの一つは経典である。これが信仰の指針となるものなので、なくては寺はなりたたない。信仰の柱となる経典は火災などで失いやすいので、写経生などを使って大量に書き写して複製する。その見本となる経典と…

尺牘 大慧宗杲筆 畠山記念館

畠山の名品展に出ている後期の国宝は2点。見たかった牧谿作を堪能して、1階・一番奥の部屋に大慧宗杲筆の墨蹟が展示していた。 大慧宗杲は中国・宋時代の臨済宗の僧侶。師から示された公案を解いて悟りに到るという看話禅を推奨した。黙々と坐す座禅により…

離洛帖 藤原佐理筆 畠山記念館

畠山記念館の名品、前期ラストの作品は藤原佐理の離洛帖であった。 藤原佐理は草書の名人として平安の三蹟に数えられる。その佐理が都(京)から大宰府へ赴任する途中で書いた手紙が離洛帖である。京(洛)から離れた際に摂政・藤原道隆に赴任の挨拶を怠った…

光定戒牒 嵯峨天皇宸筆 延暦寺

延暦寺の根本中堂はリニューアル工事の真っ最中。堂内には所狭しと足場が組まれており、日ごろは絶対に見ることができない屋根の真上からの風景が楽しめる。しかし、堂内でゆっくりと拝むにはいささか足場が邪魔になっている。 今回の東博での展示には根本中…

伝教大師度縁案並僧綱牒 来迎院

最澄と天台宗のすべての最初のブロックは最澄に関する展示。言わずと知れた天台宗の開祖である。真言宗の推しメンが開祖の空海一択なのに対して、時代を超えて綺羅星の如く名僧侶が誕生した天台宗(延暦寺で修行した各宗派の開祖も多数いる)では相対的に最…

金光明最勝王経 西大寺

龍谷ミュージアムは開館10周年記念展示会が続く。秋展はアジアの女神たち。神様に男女があるか分からないが、信仰の対象として古代人は豊穣(子を産む)をイメージして女性をかたどった造形物を造った。インドや東南アジアの女神は胸も腰も大きく作られてセ…

紺紙金銀字一切経 (中尊寺経) 金剛峯寺

霊宝館が出来て100年。名宝展では館設立の経緯や当時の資料を前期と後期に分けて紹介していた。前期には同館が財界関係者の支援を受けて設立された資料を公開。東博などで名前を見かける文化財蒐集家が並んでいた。後期は設立にいたる過程を紹介。同館の図面…

文館詞林残巻 宝寿院

文館詞林残巻は高野山の塔頭寺院・正智院と宝寿院が所有している。それぞれのものが国宝にしていされている。Ⅰ期では正智院のものを観た。そして、Ⅲ期には宝寿院のものが登場していた。 Ⅰ期でも書いたが漢から唐初までの詩文集で、隋唐以前の文学を集めた「…

【聖徳太子】四天王寺縁起(根本本) 四天王寺

1400年以上の長い歴史のある四天王寺だが、その存在を証明するものが四天王寺縁起である。四天王寺がどのような起こりで歴史を歩んできたかが書かれたものである。 それだけならば大きな寺院では大抵作られているのでよくて重要文化財止まり。四天王寺縁起の…

【奈良博三昧】金剛般若経開題残巻 空海筆

奈良博三昧の国宝出品は通期展示を除くと前期が多くて、後期のみは辟邪絵と金剛般若経開題残巻だった。金剛般若経開題残巻は空海筆で、前期に展示のあった最澄筆の久隔帖と見比べたい逸品である。 最澄と違い空海は平安の三筆に選ばれるぐらい書の名人のイメ…

【京の国宝】宗峰妙超墨跡 「関山」道号 妙心寺

絵画ゾーンの次は書籍・典籍・古文書のゾーン。龍谷大学の類聚古集や 京都大学附属図書館の今昔物語集など京都の大学が保有している国宝が出ているのはかなり珍しい。一方で醍醐寺の宋版一切経や京都学・歴彩館の東寺百合文書は国宝指定の点数が膨大なため企…

【奈良博三昧】尺牘 (久隔帖)  最澄筆

今年は伝教大師・最澄の遠忌1200年に当たる年で、秋から来春にかけて東京・九州・京都の国立博物館を舞台に巡回展が開催される。仏教の殿堂としての奈良博ではあるが、最澄が建立した延暦寺は京都にあり、開催場所とはならなかった。 しかし、奈良博は伝教大…

【京の国宝】三十帖冊子 仁和寺

1年遅れで開催した「京の国宝」は当初の京セラ京都市美術館から場所を移して京都国立博物館で開催することとなった。京都市美のリニューアルオープン記念だった展示会が京博へ移したことで、京博所有の国宝が展示されることとなり、総数で72件の展示となっ…

万葉集(金沢本) 前田育徳会

文武の誉れの次の部屋・第8展示室は「文」で統一していた。 加賀藩・前田家が百万石もの大大名なのに徳川家の嫌がらせによる配置換えや石高の召し上げがなかったのは、日本海側という江戸から遠い地の利だけでなく、文化面に力を注いだことが影響している。…

寛平御時后宮歌合 伝宗尊親王筆

東博の国宝室では寛平御時后宮歌合の展示があった。 1200年前に行われた歌会の記録。左右1首ずつ組み合わせた短歌の優劣を競う行事で、日本人は紅白歌合戦のようなことを昔からしていた。歌会の記録では2番目に古いものだが、紙が茶色く色褪せているぐらいで…

国宝拝観者たちの夢、それは千件越え。 毎年、国宝指定数が増えているので、容易にはなってきているものの、一つの目標である。 900件を超えた辺りから新規の拝見ペースが落ちているが、果たしていつ達成なるか。