文武の誉れの次の部屋・第8展示室は「文」で統一していた。
加賀藩・前田家が百万石もの大大名なのに徳川家の嫌がらせによる配置換えや石高の召し上げがなかったのは、日本海側という江戸から遠い地の利だけでなく、文化面に力を注いだことが影響している。武の誉れだけに特化していたら、何らかの懲罰的な沙汰があったことが予想される。だが、文に力を注ぎ加賀の工芸が高次元の作品を生み出していたことから恭順の姿勢と捉えらえたことで、明治維新まで前田家は安泰だった。
文を極めるためには本物を知らなければならない。そこで、多くの名品を集めてコレクションとした。今回の展示会では茶道具や能面、書画が数点ずつではあるが並び、前田家の収集の一端が味わえた。
入り口近くに国宝の万葉集と土佐日記が並んで展示。前田家コレクションの万葉集はその素晴らしさから明治時代に天皇へ献上された。その残りが国宝となっている。現存する最古の写本の万葉集である皇室御物の桂本も前田利家の正室まつが所有していたが、利常の㈹の時に桂宮へ献上した。名品コレクターの名に恥じない逸品を保有していたことが分かる。土佐日記は藤原定家筆の貴重な品で、紀貫之の原本が存在しない今となっては制作年に最も近い写本の一つとなっている。
国宝の展示はないが第9展示場ではバテレン大名の高山右近関連の展示があった。これはオリンピックで海外から来る観光客向けの企画なのだがろうが、折角の文武の誉れもう少し武具や文化財を展示ほしかった。