2022-03-01から1ヶ月間の記事一覧
国宝の十一面観音立像の彫刻は7体指定されている。どれも美しく、見ごたえがある像となっている。聖林寺の十一面観世音菩薩立像の特別公開が東京に続き、奈良も閉幕した。360度、すべての角度から観ることがでるのはこの機会のみで、聖林寺の安住の地へと戻…
元の文人である馮子振が書いた書。 馮子振は中峰明本や古林清茂ら多くの禅僧と関り、多くの僧が教えを乞うた師匠にあたる。その中で法語は無隠元晦へと贈った七言絶句3首を揮毫したものである。無隠元晦は豊前の人、1308年に元に渡って中峰明本のもとで修行…
南宋の僧・虚堂智愚は径山万寿寺の第40世住持となった高僧である。多くの禅僧が日本より学びに訪れ、大徳寺、妙心寺両派に大きな影響を与えた。 堺の富商で茶人の武野紹鷗の愛玩で、その後に京都の豪商大文字屋の所蔵となる。その時に使用人が蔵に立てこもっ…
圜悟克勤は北宋の僧。徽宗皇帝や、南宋の高宗皇帝の尊崇を受け、碧巌録の著者として有名。印可状は弟子の虎丘紹隆に与えた印可状の前半部分で、現存する墨蹟で最古のものである。この墨蹟が桐の筒に入って薩摩の坊ノ津海岸に漂着したという言い伝えから、流…
宋の禅僧である大慧宗杲は圜悟克勤の下で臨済宗を修めた。宋が金に攻め込まれ南へと押し込まれた時期の僧侶で時代に翻弄された。宰相の秦檜が金と和議を結んだことに端を発した。大慧に従う修行者の中に和議に対して異議を申した者がいたため、大慧に対して…
無準師範は南宋の禅僧。万寿寺の第34代住持である。弟子には鎌倉仏教を広めた無学祖元(円覚寺開山)、兀庵普寧(建長寺の第2世)や、日本から南宋に渡って印可を受けた聖一国師・円爾弁円(東福寺開山)らがいる。 尺牘は弁円が帰国した翌年の1242年に万…
元時代の禅僧である了菴清欲は、名僧として名高い古林清茂の弟子である。日本の修行僧たちは大陸に渡って了菴のものへ訪れて、教えを乞うた。 法語は日本から来ていた僧・的蔵主が修行を終えて帰国するときに求められて書いたものである。言わば餞別品である…
仏教における塔は信仰の象徴で、仏舎利を納めることに用い、仏を宿らせる象徴となっている。仏像は具体的で分かりやすい象徴となっているが、塔もその内部や表面などに絵画を施すことで信仰の対象としてきた。 金銅能作生塔は宝珠などを納めるために造られた…
東博150年の記念展でも間違いなく出品される医心方。この度、修繕を終えた記念として30巻一度に見せる展示を行っている。 医心方は日本に現存する最古の医学書で、984年に丹波康頼が、中国の多くの医書を引用して病気の原因や治療法をまとめた大全書…
平安中期に作られた古備前派の代表格である正恒と並ぶのが成造。御物である鶯丸の作者として有名である。山城国の三条小鍛冶宗近、伯耆国の安綱やすつなと共に日本三名匠と呼ばれている。 成造は日本刀が鎬造で湾刀の形式を完成させた時期に活躍しており、こ…
東博が所有する国宝の吉房作のもう一本は岡田切と呼ばれている。天正12(1584)年に織田信雄が羽柴秀吉の策略にはまり家臣の岡田助三郎重孝を同刀で斬ったということから名付けられた。この殺生が小牧長久手の戦の勝敗を分けたとも言われおり、織田家にとっ…
東博所有の国宝で吉房作は2点存在する。こちらは号のない方。同刀工の国宝作品はそのほか、島津家伝来の個人蔵、ふくやま美術館所蔵、林原美術館所蔵の計5本が指定されている。 吉房は福岡一文字派の流れを汲む刀工で、助真、則房とともに鎌倉時代中期の備…
朝廷の儀式のときに正装した高位の公家が帯びたキンキラキンに仕立てられた剣。各所に高い工芸技術を用いており、武器というよりも調度品としての意味合いが強い。藤原北家の後裔である広橋家に伝来した。 レア★☆☆観たい★☆☆コラボ★★★(刀祭) emuseum.nich.g…
大包平は長さ90cm近くの堂々たる大太刀。備前国包平作と堂々と刻まれており、武士ならば持っておきたい逸品である。 包平は、助平、高平とともに備前三平と呼ばれる名工の1人で、平安から鎌倉初期にかけて活躍した古備前派となる。池田輝政の愛刀で、長く…
東博が所有する天下5剣のもうひとつ名物童子切安綱は平安時代に活躍した刀工の作品。安綱はたたら文化が発展した鳥取県西部の伯耆国の鍛冶職人である。 伝説として童子切安綱は源頼光が丹波国の大江山で酒呑童子を斬った太刀であるとされる。ただ、酒呑童子…
室町時代、数ある日本刀の中で特に名刀といわれる5振を天下五剣と呼び、現代まで受け継がれている。御物の鬼丸國綱、前田育徳会所蔵の光世作・名物大典太 、そして本興寺所蔵の恒次・名物数珠丸の3振と東博所蔵の2振を指す。 まずは名物三日月宗近。京都の…