国宝を観る

国の宝を観賞していくサイト

国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

勤操僧正像 普門院

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高野山霊宝館開館100周年記念の展示会「高野山の名宝」は第4期の最終期となった。これまで高野山の名宝の数々、珠玉の彫刻を期間を通して展示してきた。その最後となる。すでに葉は赤く染まっているものがちらほらあり、高野山の短い秋がすぐそこまで来ていた。

この第4期の展示のテーマは肖像画弘法大師や真然僧正、恵果阿闍梨、新館では浅井久政浅井長政浅井長政夫人(お市)が並んでいた。その中で一番大きい作品が勤操僧正像だ。紫雲殿で最初に見える場所にあり、この展示会で一番の目玉展示が飾られる位置にあった。空海の師匠とされる人物の肖像画で、上部には空海の賛が書かれている。この賛は勤操僧正の没後に木像が造られた際に寄せた内容だそうで、空海の勤操僧正に対する気持ちが込められている。勤操僧正像の構図が右手を前に出して、「今でしょ」という往年のギャク?をしているように見えるのが愛らしい。

本堂 十輪院

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東大寺興福寺からは少し離れた場所のある奈良町。古民家が残っていたり、寺院があったり、古風な街並みにおしゃれなカフェが点在している人気スポットである。この付近には国宝を3つ抱えている元興寺があり、広い境内を有している。その別院だった十輪院は本堂が国宝である。国宝があるお寺にも関わらずこじんまりとしていて、ちかくの今西家書院の方が広い敷地となっている。国宝の建築物を有する寺社では最小の敷地面積のひとつであることは間違いない。

国宝の本堂は高さのないこじんまりとした建物である。中に入ってお参りできる建物なのに住宅と言われえても疑わない大きさである。建物の背面にある覆堂内に安置された石仏龕を拝むための礼堂の役割なので、大きな仏像などを安置しておらず高さが必要でない。東大寺の大仏殿とは対照的な建物である。

なお、東京国立博物館内には十輪院にあった宝蔵(校倉)が移設されている。法隆寺宝物館の脇にあり、東京で古都・奈良の雰囲気を感じられる貴重な場所となっている。

僧形八幡神像 八幡殿

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10月5日、転害会のメインイベントはこの日だけの勧進所の特別公開だ。

勧進所は大仏殿の西が側にあり普段は固く門を閉ざしているので人通りも少ない場所だが、この日だけは大仏殿を尻目に勧進所に向かっていた。600円を志納して、いざ中へ入る。

コロナ対策で一方通行で案内。公慶堂⇒八幡殿⇒阿弥陀堂の順で見る。正面門から見て左手に見えるお堂には公慶上人を祀っている。幾度となく人災や災害にあった東大寺を復興させるため、勧進に命をかけた上人の寺務所、いわば司令塔だった場所にお堂を建てて鎮座している。公慶上人は江戸時代の人で、坐像は亡くなった翌年に造られた。勧進で集めた浄財で建てた大仏殿が落成したの没した4年後の1709年で、勧進の成果を見ることなくなくなった。お堂は上人がいつでも見ることができるよう、大仏殿を向いて建てられているのが、東大寺復興に貢献した証である。

塀を隔てて、一段奥に八幡殿と阿弥陀堂がある。国宝の八幡神像は八幡殿拝殿の奥、個室にある。平家の焼き討ちで焼失した八幡神を再興するため快慶が作ったのが、国宝の僧形八幡神像である。奥の個室で保管されて、年に1回した御開帳されないこともあり、色彩がはっきりと残っている。顔がなんとなく良弁僧正に似ていて男前。茶室ぐらいの広さがあるので、奥まで行って背後も見たいのだが、監視の目のお供え物があるのでさすがにできなかった。

八幡殿を出て左手に阿弥陀堂がある。アフロ仏像でおなじみの五劫思惟阿弥陀如来が本尊。インパクトのある仏像だが、周りを囲む小さな四天王立像も力強い作品で目に留まり、仏像好きにはたまらない空間であった。秋というには夏の日差しが残る暑い日であった。

楼門 般若寺

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東大寺転害門から北へ15分ほど、コスモスで有名な般若寺へたどり着く。市街地からは少し離れているので、ベットタウンなのかと思いきや、倉庫兼工場や商店が多い。その訳は、区画を隔てたところに奈良少年刑務所があったからだ。明治の五大監獄の一つ奈良監獄が前身で、創建当初のまま残る煉瓦造りの外塀と正門は威圧を感じる。ただ、耐震性の問題から数年前に廃庁し、民間に売却、ホテルとして生まれ変わる予定だ。

国宝は般若寺楼門。国宝の楼門では日本最古で、転害門と同じく京街道沿いにある。写真の通り、かなり老朽化しており、左右の壁の漆喰は剥がれてしまっている。観光客は東大寺に来るが般若寺までは足が遠のく距離で、刑務所がホテルになれば観光客の流れも変わるかもしれない。

転害門 東大寺

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10月5日、東大寺内にある手向山八幡宮と転害門で転害会という古式ゆかしい神事が行われる。

お寺で神事というのも摩訶不思議なのだが、明治政府の意向で神仏が明確に分かれて配されたが、それまで神仏の垣根なく立地するのは普通だった。いまもお寺に小さな神社が祀られているのはその名残。現代風に事象ならば郵政民営化によるかんぽと郵便事業分離したが同じ建物内で営業しているぐらいの感覚なのだろう。

転害門は東大寺のメインストリートからは離れた西端北寄りの場所にある。平家の南都焼き討ちや戦国時代の戦災からも逃れた門は、東大寺中興の祖である重源上人が行った改修工事後の姿を保っている。奈良時代から残る三棟造りの屋根は法隆寺東大門とこの門だけで、東大寺の中でも歴史ある建物のひとつである。門の前を通る道が京へ向かう道なので、この門が京から来る人々を最初に迎えることとなる。現在の鉄路からは遠い場所だが、北からの備えという意味では十二分。おそらく京から来てこの門を見た人は古都に来たと実感したのだろう。

さて、この日行われた転害会は平安時代初期に始まった祭で、「害を転じて生かす」行事として室町時代までは天皇直轄の勅祭だった。神事は午前の早めの時間帯で終わったようで見ることができなかったが、神事の場所として転害門には注連縄が飾られていた。秋のこの時期に開催されているのは秋祭りの時期に合わせて開催しているのは、寺での神事ではなく神仏分離をきっちりとした体裁をとっているのかもしれない。

吉祥天像 薬師寺

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天平絵画の最高傑作だと思う薬師寺の吉祥天像。薬師寺での年始御開帳を除くと、直近では昨年にあべのハルカスで開催された薬師寺展へお出ましになったが、コロナウイルス蔓延のため二日間で休止となり、見ることができなかった。そして1年が過ぎ、龍谷ミュージアムのアジアの女神たちに1週間限定で展示されることとなり、会いに行くことにした。

アジアの女神たち集結はまるでミスコンアジア大会のようだった。インドから東南アジアの女神がグラマラスなのに対して中華圏の影響を受けている女神はスレンダーで、地域によって女神の定義が違っていた。

そんな中で吉祥天像はどちらかと言えばふくよかな感じで、衣装で体形は隠していた。太い眉毛も他の女神にない特徴となっている。絵のタッチからキトラ古墳高松塚古墳などに近く、和様式が確立される以前に大陸から来た技工士が描いたためか、現在まで吉祥天の流れを汲む作品はあまりお目に掛かれない。まさに唯一無二の美人画で、製作から1000年以上経っているにも関わらず、色合いがはっきりと残っている。美術界では美人長命なのかもしれない。

さて、これだけ貴重な絵画に厨子の寄贈が箔を付けている。三井財閥を支えた明治の実業家で、茶人としても名の知れた益田孝が吉祥天像を保管するため、専用の厨子を造って寄贈している。その証拠に、裏側にはきっちりと名前が書かれていた。龍谷ミュージアムでは普通ならば見ることができない背面もしっかりと見える配置に陳列していた。高野山の霊宝館設立でも明治の実業家が関わっていたが、昭和や平成の実業家は個人単位で文化事業を支援する動きが少ないように思える。日本全体が一億総中流となったため、サラリーマン経営者が増えた弊害かもしれない。

金光明最勝王経 西大寺

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龍谷ミュージアムは開館10周年記念展示会が続く。秋展はアジアの女神たち。神様に男女があるか分からないが、信仰の対象として古代人は豊穣(子を産む)をイメージして女性をかたどった造形物を造った。インドや東南アジアの女神は胸も腰も大きく作られてセクシー感を出している。対して中国では儒教が広まっていたためか性的なイメージを全く出していないスラっとした造形となっている。日本は古代は土偶などはそれなりにセクシーなフォルムだったのに、中華文化の影響を受けた辺りからスラっとしたものに統一された。

この展示会の順路は2階→3階の順で構成していたのだが、意識せずにエレベータのボタンを押したためいつもの通りの3階から巡回してしまった。なので、中世の作品から見ることとなった。

日本で最もメジャーな女神のひとりと言えば弁天様。それを裏付ける記述として金光明最勝王経が展示されていた。経典内にその記述のある部分に矢印を打ってはいたものの、意味するところが分からないので予習しておけばよかった。西大寺の金光明最勝王経は奈良時代の762年で制作されたもので、その頃から女神はいたことになる。前期のみの展示で、後期は龍谷大学所有の物と入れ替えとなる。

弁天の他にも、准胝観音、あまり見たことがない魚籃観音もいた。女神の国に転生した居心地はとてもよかった。

国宝は2017年10月3日~11月26日が会期で無事終了した。 この展示会に出ていない800件以上の品々も見ていきたい。