大徳寺塔頭寺院から出品予定の国宝をもうひとつ。聚光院所蔵の琴棋書画図襖が後期に展示される。作者は狩野永徳。安土桃山時代に活躍した狩野家の中興の祖で、時の権力者である織田信長や豊臣秀吉に認められ、安土城や大坂城の障壁画を制作した。作品では三の丸尚蔵館所蔵の唐獅子図屏風と上杉本洛中洛外図屏風が国宝指定を受けている。
琴棋書画図は父である松栄とともに描き上げた。襖があることで聚光院の室内が静寂に満ちた仙人の世界に転生したかのような空間となっている。なにも成していないのに達観できた雰囲気だけは得られる。そんなバーチャル空間を作り上げた襖となっている。最近の美術品クローン技術の進歩によって、聚光院の襖はすべて複製品に切り替わり、国宝は京博へ寄託されるようになったので、本物を見る機会は展示会場へ行く必要がある。さすがに、聚光院を再現まではしないだろうが、少しでも異世界転生できるように集中して見たい。
【大徳寺】看読真詮榜 大燈国師筆 真珠庵
大徳寺展では龍光院の曜変天目以上になかなか展示会に出品されない国宝が登場する。大徳寺の塔頭寺院のひとつ、真珠庵所蔵の看読真詮榜だ。
大燈国師の署名はなく、押印されただけの墨蹟だが、その筆跡と内容で国師の真筆とされている。看読真詮榜は7月15日の盂蘭盆会の際、禅寺の僧堂に張って掲示し、衆僧に経咒を看読させるための文疎である。国宝指定を受けたものは、掲示するものの手本として製作された。
書としては黄庭堅の影響を受けた力強い墨蹟であり、宗教的な文化財であるとともに書の文化財としても一見の価値がある。通期で展示されるが、前期と後期では展示場面の切り替えがあるので、全体を見ることができそうだ。
【大徳寺】曜変天目 龍光院
2027年秋の東博での特別展は大徳寺展だ。大徳寺の本堂などの改修工事が進む中で、今か今かと待ち侘びた企画が、いよいよ大々的に寺宝展を東京で実施する。
その大徳寺展で展示される内容の一部がプレス発表された。超目玉は龍光院の曜変天目。前半期の10月14日(木)〜11月8日(日)までの展示となる。これまで龍光院の曜変天目を3度見ている。1度目は2017年の京博で行われた国宝展。国宝しか展示していない特別展にも関わらず、曜変天目が21世紀になって初めての展示ということで特別な展示ケースを一から作る超VIP待遇だった。(人が並ぶ列は別の時期の展示の金印の方が長かった)2度目は2019年春に開催されたMIHOミュージアムの大徳寺龍光院展。これは龍光院の所蔵する寺宝の数々を展示した内容。山奥のミュージアムであり来客が大挙するまでには至らなかったが、かなりの人が来ていた。展示は廊下の突き当りを利用した壁際であっさりとしたもの。廊下に並んで3度見た。3度目に見たのは2022年秋に京博で開かれた茶の湯展で、茶道を集めた展示会で周辺の美術館や博物館とのコラボ企画にもなっていた。国宝展と同じような展示ケースに陳列されていて、非常に見やすかった。
このいずれも同じ年に静嘉堂と藤田美術館が所蔵する曜変天目の展示があった。と書くと、最近は静嘉堂は常設かのように展示が頻繁で、藤田美術館も年のうち3ヶ月は展示しているので当然のように思う。だが、静嘉堂は移転前、藤田美術館はリニューアル前まではここぞという時しか曜変天目を展示しなかったので、それらを単体で見ること自体がレアだった。コロナ後にそれぞれ近代的な展示館となった事で憂なく展示できるようになった。曜変天目グランドグロスは龍光院所蔵のものが出品された時に起こる現象となり下がった。
とはいえ、龍光院の曜変天目が関東初上陸となる展示会は超目玉展示となることは間違いない。また、これまで3度見たは関西で、いずれも薄暗くして集中して見る環境を作り上げていた。今回、東博ではどのような展示をするか楽しみである。
秋草文壺 慶應義塾

東博の大型特別展は平成館2階で開催されることが多い。特別展を何度も見に行くものの、だんだん1階の常設部分に足を運ぶ機会が減りつつあった。
今年度に新しく国宝指定を受けた文化財に慶應義塾大学所蔵のものがあった。久々に寄託先の東博にて展示している慶應義塾所蔵の秋草文壺を目当てに見に行った。平成館1階は古代の出土品を中心に展示している。その中にあっては新しい部類(平安時代)の文化財である。なので、見学コースの導線でいうと展示は最後の方にある。平成館の2階へ上がるエスカレーターや階段から近い方の出入り口付近に展示している。こちらの出入り口から入ると時代を逆行する形で展示を見ることになる。
秋草文壺の展示位置は2か所ある出入口の真ん中あたりに展示して関係で、すんなりと出入口へ進んでしまうと見落としてしまう場所にある。定位置での展示でかなりの頻度で展示されている。
作られたのは愛知県の常滑か渥美だと推測されているが、見つかったのは神奈川県川崎市日吉郊外の白山古墳から出土した。芒、柳、瓜、頸部に芒、蜻蛉などが線刻された文様が鮮やかに残っている。見つかった時は骨が入っていたので骨壺として使用されていた。いまでも東海地域は陶器の生産で有名だが、当時から良いものを作っていたので、骨壺として採用されたのだろう。まさか国宝になるとは思っていなかっただろう。
【前田育徳会百周年】山門疏(勧縁疏) 無準師範墨蹟 五島美術館

前田育徳会所蔵品だけでもお腹いっぱいになる展示の品数だが、前田家から流出した名品も展示していた。
日本の禅宗に多大な影響を与えて南宋時代の禅僧・無準師範が書いた山門疏(勧縁疏)と言われる墨跡だ。小堀遠州の仲介で、前田利常が東福寺より購入したとされている。無準師範は東福寺を開山した円爾の師匠にあたる。おそらく戦国時代が終わり荒廃した東福寺を境内を修繕する費用捻出の情報を得た小堀遠州が利常に仲介、寺が提示した言い値からかなり積み増した金500枚で前田家が購入したとされ、寺院経営の一助にとの積み増しがあったのだろう。
師匠を大事にする円爾は博多の祇園山笠を生み出したり、生まれ故郷である静岡に茶の育成を普及させたり、いまでも日本文化に根付いている。小堀遠州は茶の湯に長けた人物で、前田家の格ならば茶を普及させた円爾の師匠の書ぐらいは持っておく必要があると焚きつけたのかもしれない。
山門疏は、横に150センチぐらいの長さがあるのでお寺で飾るにはよいが茶室の床の間に飾るにはかなり大きい。もともと、万年正続院が落成した際の勧進の偈っとその序文に加えて、大仏宝殿や法宝蔵殿の建設のためのお布施を希望するもので、無準師範の熱の籠った文字が並ぶ。円爾がいくら寄付したかは分からないが、江戸時代に利常が東福寺から購入し、そののち東急の五島家へ渡った。山門疏は内容と同様にお金のあるところに渡る墨蹟なのだろう。
【前田育徳会百周年】広田社二十九番歌合 藤原俊成筆 前田育徳会

前田育徳会創設百周年を記念した展覧会が昨日閉幕した。同会所蔵の国宝は会期中にすべて展示された。それだけでなく、保有する珠玉の文化財も公開。最後の部屋では写真撮影もOKだった。フランソワ・ポンポンのシロクマなど同会が発足してから収集したものも見る人を引き付ける文化財が多かった。
前田家のすごいところは、ただ蒐集するだけでなく、それらを受け継いでいくための費用を惜しまないことだ。昨年、石川県美術館で見た楼閣山水蒔絵箱は広田社二十九番歌合を入れておくための箱で、それだけでも見惚れる出来栄えであった。いつか入れている歌合も見たいと思っていたが、1年後にその機会が巡ってきた。
歌合は藤原俊成によって書かれたもので、歌人29人の歌が並ぶ内容となっている。広田社に奉納され、前田家の手に渡った平安時代に書かれた貴重なものである。料紙に特徴がなく文字だけでは単調で価値が判りにくいので、箱の豪華で緻密な出来栄えで補っているように見える。貴重なものをより価値が分かるような箱を作るのは、茶器などでもあり箱と一緒に展示する場面も見るようになってきた。その内、シロクマを保管している箱と並んで展示する企画も出てくるかもしれない。
【前田育徳会百周年】土佐日記 藤原定家筆 前田育徳会

特別展などで書物や巻物の展示面を変えることがよくある。絵巻物だとスペースの関係で全場面を一度に見せることができないので、期間を区切って公開箇所を変えることで全場面を見せる演出がある。書物でも冊子体のものは一度にずべてのページを公開することができないので、開くページを変えることがある。ただ、絵巻物に比べて見せるページが変わったからといって大きな変化がない。
前田育徳会が所蔵する国宝・土佐日記は前期は冒頭の部分を公開していた。有名な出だしのフレーズ「男もすという日記といふものを、女もして心みむとてするなり」は藤原定家の癖の強い字で書かれていて、文学史のみならず書道としても見ごたえのあるページであった。土佐日記の公開はだいたいが冒頭のみが一般的だが、後期にどうしても訪れたい理由があった。
この定家筆の土佐日記は三十三間堂にあった貫之筆をベースにしている。書写されたもので現存最古の土佐日記の写本ではあるが、仮名の字体変更や仮名や真名の置き換えなど定家独自の解釈が加わっている。むしろ、国宝の土佐日記としては大阪青山学園が所蔵する定家の息子・藤原為家の写本のほうが忠実に写されていて、平安時代に書かれた通りとなっている(癖字でもないし)。となると、前田家所蔵の土佐日記の写本は定家色満載のものだとも言えなくはない。だがそこは定家も分かっていたようで、最後のページのみオリジナルに書かれていた文字を真似て写した(臨模)。つまり紀貫之を尊重していることを最後に見せている。後期ではこのページを公開していた。多くの人は開いているのは土佐日記の冒頭部分でないのか程度で横切る。まれに国宝かと立ち止まる人がいるが、前半と後半の2回見ないと定家筆の土佐日記の良さは堪能できない。オリジナルにこだわる定家だが、先人へのリスペクトも忘れない気の利く男であった。