つつじが見ごろとなっていた京博。至る所で咲いており、白黒の水墨画を見た後だと、華やかさが倍増して見えた。
さて、雪舟は室町時代の水墨画家で、相国寺の周文に水墨画を学んだ。周文は如拙から室町幕府の御用絵師を引き継ぐ技量があったが、相国寺内では経理の立場だった。一方で、雪舟は東福寺へ移籍し、明兆を私淑して画力を高めた。48歳のとき遣明使に随行して中国に渡り、見聞を広め画業に邁進した。
この海外渡航は本人の中では誇れる行為でだったことが分かるのが、破墨山水図で雪舟76歳のときの作である。弟子の宗淵に求められて描いたものだが、図上の賛に大陸で李在と長有声に画法を学んだことを書いている。師匠の周文や如拙、明兆たちができなかった山水画のルーツである大陸へ行ったことが、弟子に伝えるべき最重要の内容であるというのが、オリジナルな山水画を作り上げた雪舟の可愛さである。