国宝を観る

国の宝を観賞していくサイト

国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

本坊経庫 東大寺

毎年5月2日、東大寺では聖武天皇祭が南大門横の天皇殿で行われる。聖武天皇は国分・国分尼寺建立の詔を発して、仏教を全国に広めた。その総本山、元締めとして東大寺の元となる寺院を昇格させ、その地にる盧舎那大仏造立を造営させた。東大寺を全国区いや全世界区にまで広める名前変更と大仏建立を行った大恩人の祭りである。

この時、普段は解放されない天皇殿のある本坊敷地内に入れる。そして、その中にある国宝の本坊経庫も観ることが出来る。経庫は校倉造りで、正倉院のものとそっくり。もちろん中に入ることはできないが、古さは伝わってくる。南大門の横にあるということは平家による南都焼き討ちにあったのかと一瞬考えたが、江戸時代に当場所に移設された。もとは油倉で手向山神社の同型の倉と並んでいたそうだ。移設された方は国宝で、当地に残ったものは重要文化財。貴重なものには変わりはないが、公開日が限られている分、国宝の経庫のほうが貴重に思える。

【東博150年】プレス発表

東博

国宝 東京国立博物館のすべてのプレス発表が行われた。事前の案内の通り、東博が所有する国宝すべてを展示する第1章、東博150年を3期に分けて紹介する第2章の2部構成となっている。

東博の歴史イコール日本博物館史といっても過言ではない。その歴史を紹介する第2章も興味をそそられる。それ以上に何と言っても第1章の国宝保有数日本最多の東博がそのすべてを公開するのだから楽しみで仕方がない。ただ、以前からの懸念はそれぞれの国宝たちの公開期間がどうなっているかであった。その答えがこのプレス発表で明らかになった。最近の展示会では1か月前になっても詳細を知らせないことが多く訪問日程に苦慮していたが異例の速さである。予定が立てやすくなった反面、秋が忙しくなることが確定してうれしい悲鳴を挙げている。

国宝の展示についてまず、展示会は10月18日から12月11日までの8週間。そのすべての期間に展示されるのは、考古分野と刀剣、それと法隆寺献宝物の一部だ。考古や法隆寺関連はそれぞれのコーナーで現在も展示されつづけているので、当然と言えば当然。刀剣もかなりの頻度で展示があるが、一度にすべての国宝刀剣が観ることができるのは超レア。刀剣女子たちにとっても最高の展示内容のため混雑必至なので通期で展示はありがたい。

展示期間を2週で仕切り、10月18日~30日がⅠ期、11月1日~13日がⅡ期、11月15日~27日がⅢ期、11月29日~12月11日がⅣ期とする。多くのものが前期と後期で入れ替えなのだが、1つの期しか出ないのが数点ある。まずⅠ期のみが平治物語絵巻と松林図屏風。Ⅱ期のみが一遍聖絵、Ⅲ期のみはなく、Ⅳ期が普賢菩薩像と観楓図屏風、変則でⅡ期とⅢ期が檜図屏風となっている。これを見る限り屏風がそれぞれ、絵巻物が前期は平治→一遍の流れで後期に地獄草紙・餓鬼草紙が入れ替えとなりそうだ。普賢菩薩像の展示入れ替えが謎として残る。

前期後期での入れ替えでは、絵、書跡、東洋絵画、漆工がそれぞれ半期で入れ替えとなっている。入れ替えが前提なので、別の企画での登場に期待が高まる。まずは同時期にMAO美術館で開催された大蒔絵展の巡回が三井記念美術館で行われる。前期には被るものの場所が近いこともあり、東博と三井の漆工の巡回コラボ(とくに後期組が三井へお出ましすること)に期待したい。また、東博の東洋館の秋と言えば、毎年、国宝の中国の書跡などを展示している。時期が丸被りなので企画が変わるかもしれないが、開催されるのならば東博所有以外の渡来の国宝出品を期待したい。

最後にこの展示会以降のことだが、三の丸尚蔵館所蔵品の全国行脚や松涛美術館奈良国立博物館の所蔵品展が開催されているが、それに倣って東博にも全国で巡回を企画してほしい。ネットなどでオンラインでの情報は充実するがリアルな体験がその分なくなってきている。150年の節目を機会に、誰もが見たことがある身近なトーハクを実現してほしい。

三重塔 浄瑠璃寺

浄土式庭園の此岸にあたる場所にあるのが三重塔。ここには薬師如来が祀られている。

もともとは京都の一条大宮にあったものを1178年に移築した。なかには秘仏薬師如来像を安置し、十六羅漢の障壁画が描かれている。

本堂が池と同じ高さに建てられているのに対して、三重塔は一段高い位置に建っている。そのため、全体を俯瞰で観ることが出来、あの世を見渡せる演出となっている。近世の高層建築物である塔に登ることはできないが、ここを造営した貴族たちは現代でいうスカイツリーや東京タワーから望む眺望を楽しむのと同じだったに違いない。まさに浄土をテーマパーク化した寺院である。

さて、浄土式庭園の傑作だと思う浄瑠璃寺だが、辺鄙な場所にあるのが難点。行くのに半日はかかる。(造営された平安時代に比べると行きやすいと思うが)この庭園形式を楽しむみ、かつ巨大化した庭がある。東京の六義園だ。国宝好きには東洋文庫の近くで共通チケットも発売されている、あの庭園である。もちろん、本堂や三重塔、九体阿弥陀坐像はないが、真ん中に池があり、入り口近くが水面と同じ高さ、奥の対岸は小高くなっている点が似ており、浄瑠璃寺に比べてかなり広く造られている。都内の一等地で浄土式庭園が味わえる素晴らしい場所である。

本堂 浄瑠璃寺

浄瑠璃寺は境内の中心、ど真ん中に池があり、その池をはさんで対岸に本堂と三重塔、池の中に弁天社を構える。いわゆる浄土式庭園の典型例で、本堂を彼岸、三重塔を此岸と見立てて配置している。

彼岸、あの世を表現した本堂内には黄金に輝く九体の阿弥陀様が鎮座し、この風景を観ると死の恐怖心より見てみたいという欲求に代わる。平安時代に流行ったこの形式で、当時から仏像とそれを覆う建物が残っているのは浄瑠璃寺のみ。

九体の阿弥陀仏像は横一列に配置されるため本堂は横長に造られている。真言宗系の仏像だと立体曼荼羅としてフォーメーションを組んでいることが多いが、こちらは平面的に配置している。なんとなく分身の術を使って並んでいるようにも見える。この仏像を見せるためか、堂内の障壁や柱には彩色はもちろん絵も描かれていない。極彩色の堂内に仕上げることなく、阿弥陀様のみの魅力で本堂を包んでいる。

阿弥陀如来坐像(九体阿弥陀) 浄瑠璃寺

本堂の中心的存在は大きな阿弥陀如来坐像(中尊)とその脇に六体の阿弥陀坐像が並ぶ。本来は計九体となるところ二体は修繕のためお堂を離れていた。それでも七体が座る堂内は金色にあふれ、暗い堂内も派手やかな雰囲気だった。それに加えて、特別公開として重要文化財吉祥天女像が御開帳。美しさは薬師寺の吉祥天像が二次元で最高なら、立体造形物では浄瑠璃寺のものと言えるぐらいで、阿弥陀と吉祥天のコラボは多幸感にあふれたラインナップとなった。

平安時代後期に流行した西方極楽浄土への往生を願う、浄土信仰。観無量寿経に説かれている9通りの極楽往生の世界を、9体の阿弥陀如来坐像で表現している。これを祀ることで浄土へ導かれる。なので、9体が座る正面には浄土を具現化した池があり、写真のように見えている。あくまでも阿弥陀様は彼岸で観ているのみ。

 

【東博150年】白氏詩巻 藤原行成筆

藤原行成平安時代の貴族で、官位は正二位・権大納言と高い位に収まる実力者である。そればかりか、当代の能書家として小野道風藤原佐理とともに三跡と讃えられた人物である。

書道家としては小野道風王羲之を学んで、和様書道を完成させた。のちに世尊寺流の始祖として、その書は後世・権蹟と呼ばれるようになった。

白氏こと白居易は中唐の詩人で、高級官僚の権力闘争にいや気がさし、晩年は詩と酒と琴を三友とする生活を送った。平安文学に多大な影響を与え、菅原道真の境遇を比較したり、紫式部藤原彰子に享受したり、和漢朗詠集では詩句で最多の選出となっている。

人気の高い白氏を行成が書いた名品は紙背の継ぎ目に伏見天皇の花押があり、天皇遺愛の品であった。

レア★☆☆
観たい★☆☆
コラボ★☆☆

emuseum.nich.go.jp

四天王立像 浄瑠璃寺

木津川市ゴールデンウィーク期間に市内の寺社の特別公開を企画していた。普段公開していない現光寺や大智寺、この機会に回りやすいように海住山寺や蟹満寺など国宝所有寺院も参加していた。この中でメジャーな組み合わせ浄瑠璃寺岩船寺を回った。

浄瑠璃寺は本堂以外は自由に散策が可能。浄土式庭園が堪能できる。その前にお参りを兼ねて本堂内へ。ここに四天王立像のうち増長天持国天が入口近くに守護している。本堂にない広目天東博多聞天は京博へ寄託中。ここの守りは二天で十分といった雰囲気だった。

平安後期の作品で、寄木造りで彩色と截金で彩られていたが、そこそこ残っているkところもあり、大切に保管されて続けたことが分かる。衣がなびいている点や装飾品など細かな彫刻で、鎌倉仏師に繋がる造りをしている。

国宝拝観者たちの夢、千件越えをいつの間にか達成した。 毎年、国宝指定数が増えているので、容易にはなってきているものの、一つの目標が完結した。 次の1100件は果てしなく遠いので、1050件を一区切りにしよう。