国宝を観る

国の宝を観賞していくサイト

国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

本殿 北野天満宮

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天満宮と言えば学問の神様。すでに受験シーズンに突入しているので学生はほとんど来ていないが、親族の方々が神頼みに訪れていた。そして、北野天満宮の境内のいたるところにある梅は開花し、見ごろとなっている。

2月にしては暖かい日が続いている。最も早い春一番が吹いたとのニュースもあり、多くの人がお参りと花見を兼ねて訪れていると想像していたが、家族やパートナー単位で訪れているのみで団体観光客は皆無だった。秋に訪れた時はGOTOキャンペーンの影響で多くの人が来ていたのに比べ、参拝の列はほとんどなく、改めて観光業が熱望していた政策が成功していたことが分かる。f:id:kokuhou:20210211193104j:plain

人々はコロナを気にしつつ日々の生活を営んでいるが、自然界の梅は関係なく時期が来れば綺麗に開花する。北野天満宮の梅だが年々力強さを失っているように見える。多くの観光客が訪れていたことで土が踏み固められ、養分が行渡らず木にダメージが蓄積される。木々が細るのも仕方がない。

菅原道真は「東風吹かばにほひおこせよ梅の花」と詠み、九州の大宰府の地で京を忘れないと思いを新たにした。国宝の本殿を眺めているとどこからともなくよい香りが漂う。本殿を正面に左側の西出入口に植えられた蝋梅が香っていた。大宰府まで香りを届ける、そんな思いから西側の出口に庭師が植えたのかもしれない。

 

法華経巻第八(運慶願経)

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京博では珍しく企画展がてんこ盛りの2月である。会期が延期になったものを今期中に消化するために仕方がない。京博と奈良博は常設スペースがなく、特別展が入ると同館所有の品々をお披露目できない。必然的に出品点数が多くなり、広々と展示することが少ない。

その中でも、運慶が願いを込めた経典、法華経第八は珍しく法華経部分が広く開かれていた。だいたいの展示会では巻末の運慶が願いを込めたサインのある部分を中心にお経が書かれた部分はほとんど開かれることがない。今回は書写した珍賀の美しい字が堪能できた。

他の経典でも展示スペースの関係で、最初の部分や関連語句のある部分が開かれておしまいの場合が多い。また、この展示では東大寺が焼失した時に出た残木を再利用した軸も展示。収集者が観たであろう全貌を同じように体験できる難い演出であった。

日本書紀神代巻(吉田本) 京都国立博物館

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京博の1階では雛まつりと人形と、開催時期が少し遅れた日本書紀展が同時に開催されている。

ひな人形で猫か虎かに見間違えそうな犬張子の置物がさりげなく登場する。京都以外で見たことがない独特のフォルムと顔立ちとなっている。伏見人形とともに独特のゆるい雰囲気があり、本物志向のひな人形群にあってほっこりする。

さて、メインは日本書紀展で、昨年の今頃に東博で開催されていた出雲と大和展はもともと日本書紀成立1300年を記念した展示会の一環で、コロナ禍で世の中が一変したため連続性を失ってしまった。

日本書紀の成立期は漢字文化圏のど真ん中で、大陸を意識した歴史書制作に臨んだ時の政権が都合よく書き綴っている。そのため、神代の記述の中には後の研究で否定されたフェイク情報も混じっている。それでも古事記とともに古代を研究するにはなくてはならない書物で、文が明けた貴重な資料であることは間違いない。

山越阿弥陀図 京都国立博物館

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往生際に現れて天に召されるお導き(手助け)をするのが阿弥陀如来である。阿弥陀様が極楽浄土へ連れていってくれるので、死後の世界も怖くない。死を感じた人の心のよりどころするために、仏画でも派手に描いている。

上野コレクションの中でも最高傑作である山越阿弥陀図は、周りの山並みは経年劣化で見えにくくなっているが阿弥陀仏と菩薩たちははっきりと綺麗に見ることができる。截金細工で表現した着衣の皆金色の劣化がほとんどなく、作られた当時と変わりがいないと思えるほど眩い黄金色が残っていた。

この山越阿弥陀図の売却益が仏教美術研究上野記念財団の設立資金になっている。設立されて50年だが設立当時は苦労しただろう。いまでこと見仏マニアが増えてきて、仏教美術も見直されているものの、設立の1970年代は高度成長期で古いものへの関心度も低く、仏教美術の冬の時代にだった。しかし、連綿と受け継がないと散逸してしまうので、研究により体系化してきたことで現在のブーム到来と繋がったのだろう。

漢書楊雄伝 京都国立博物館

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コロナの影響で会期が延長されていた仏教美術研究上野記念財団設立50周年を記念した展示会「新聞人のまなざし ー上野有竹と日中書画の名品ー」が開幕。朝日新聞の創業期の社長にして日本と中国の美術品収集家の上野理一のコレクションを中心にして設立された財団で、周年ということで京博2階を大々的に使って公開していた。

朝日新聞は上野家と村山家が勃興した会社。どちらかの家から社主を出してきていたが、君臨すれども統治せずの建前から直接的な経営からは一歩引いている。ただ、大株主であるため、事あるごとに週刊誌ネタにはなっている。

さて、両家共に戦前から多くの文化財を収集してきている。村山家のコレクションは香雪美術館が管理し、御影の閑静な住宅街にある美術館で見ることができる。2018年には分館として朝日新聞大阪本社がある中之島にも美術館を作り、仕事の合間で気軽に訪れるスポットとなっている。

上野家はコレクションの売却益で仏教美術研究上野記念財団を設立して、若手研究者の育成を目指す土台を構築。 京都国立博物館へは、当財団の基本財産を拠出した上野家旧蔵の中国の書跡・絵画などからなる「上野コレクション」を寄贈している。

上野家収集物として常時展示されている施設がないものの、村山家収蔵品にはない国宝が含まれている。漢書楊雄伝や法華経巻第八(運慶願経)、王勃集は書であるため派手さは全くないものの、どれもいわれを知れば感心するものばかり。眼福を得るより慧眼を育てるコレクションとなっている。

海竜王寺 五重小塔

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建築物の中には移動できるものがある。海竜王寺の小塔は同寺院の西金堂内に安置されていたもの。塔の組み方が良く分かる模型のようなものである。ところが、塔内に箱入りの法華経が納められていたことから信仰の対象としても活躍していた。

小塔はサイズは違えどすべて原寸大の塔と同じように作られており、仏教建築の貴重なアイテムとしてだけでなく、建築史的にも重要な資料となっている。元興寺にも同様の小塔があり、手軽に移動できる建築物となっている。

五重塔 室生寺

室生寺五重塔は15メートルと他の塔に比べたら小塔の部類に入る。しかし、周りを高い木々に囲まれていることもあり、他の塔と比べても独特の雰囲気を醸している。

下から写真を撮ると高い塔に見えてしまうが、正面からだとよくある三重塔ぐらいの大きさしかない。国宝では法隆寺五重塔に次ぐ古さで、奈良時代末期から平安時代初期に完成した。室生寺は奈良の山深い場所にあるため、戦火とは全く無縁。女高野としての信仰が続いたことから荒廃も免れた。いまでも交通の便がよいとは言えないが、訪問者が絶えないのは寺院の魅力に他ならない。都会の喧騒を忘れるには持って来いの場所である。

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国宝拝観者たちの夢、千件越えをいつの間にか達成した。 毎年、国宝指定数が増えているので、容易にはなってきているものの、一つの目標が完結した。 次の1100件は果てしなく遠いので、1050件を一区切りにしよう。