国宝を観る

国の宝を観賞していくサイト

国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

【根津 国宝・重文】根本百一羯磨

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根津美術館は青山の一等地にあり、おしゃれなブティックなどを横目にしつつ美術館へ向かう。そのイメージが強いせいか、同館の展示会と言えば幻想的な東洋絵画や煌びやかな工芸品の企画展の記憶が強く残っている。また、エキゾチックな大陸系の石像や古代の饕餮文字をあしらった器たちも時代を超えた美を感じ、変化する青山に対して良い意味で変わらない美を体現している。

そんなアーバンかつオリエンタルな根津美術館だが、国宝7件のうち2件は地味な仏教関連の書である。無量義経・観普賢経は平安時代後期に美しい染紙に金銀をあしらった最高級の用紙に写経されたもので、もとは別々の所有されていたものが奇跡的に根津で再開した。

根本百一羯磨は奈良時代のもの。正式名称は根本説一切有部百一羯磨で、教団の議事運営や宗教行事に関する作法などを集めた虎の巻的な書である。紙が貴重だった時代に大きな文字で書かれているだけでも価値の高い書となっている。唐風の文字で写され、同様のものが白鶴美術館と正倉院聖語蔵に残っている。巻き直しや巻替えなどはあるものの2階の書が展示されてい展示室5で観ることができた。最後に展示室6の茶道具類と陶器の部屋。重要文化財で埋め尽くされていたが、国宝の陶器がないのは残念。あってもおかしくないものの、全般的に陶器の国宝指定は少ない。根津美術館の国宝・重文、そして庭園に至るまで見ごたえ十分。あとは茶器が国宝指定を受ければラストピースが埋まる。

【根津 国宝・重文】那智滝図

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根津美術館は都心の一等地にあるにも関わらず広めの庭園を備えている。入館者は無料で散策でき、同館が誇る燕子花屏風絵に合わせるように実物のカキツバタを活けていたり、所蔵の茶器や掛け軸などに合った茶室(入室不可)が4棟あったり、観る者を楽しませる工夫が至る所にされている。

素晴らしい庭園を多くの来館者に見せるための工夫として、同館は庭園に面した部分はガラス張りにしている。美術品を眺めながら庭園も楽しめるものもあり心憎い演出である。写真は1階フロアから出てすぐの一番目立つ街道で、紅葉が見ごろとなっていた。

この紅葉に負けない絵が那智滝図である。右上に大きな月(の痕跡)があり、山肌には紅葉がちらほら見える。そして、山肌のど真ん中から那智の滝が力強く落ち、自然の力強さを表現している。自然に神が宿るアニミズム的な絵ではあるが、そこから仏を感じる本地垂迹図の最高峰であることが感じる。八百万の神々は、実は様々な仏が化身として日本の地に現れた権現となる思想があり、その象徴的な絵画である。

しかし、思想的な面を抜きにしても那智滝雄大さの描かれようは素晴らしく。ちょうど第1室から第2室に向かう直線状に立った時にこの図のみが見えるため、館内に多くの作品が展示されているにも関わらず、この図のみのための展示会だと錯覚できるぐらい唯一無二の空間に陥る。風景画としては縮尺や構図などで多少言いたいことも出てくるが、この絵を見て心揺さぶられたならば、それが答えなのだろう。

【根津 国宝・重文】漁村夕照図 牧谿筆

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2020年はオリンピックイヤーであったことから、東京の多くの美術館で国宝の展示が企画されていた。しかし、コロナでオリンピックが延期されたことで三菱財閥の至宝たちの展示は来年に持ち越し、一方で三井財閥は開館15周年として記念美術館で今夏に開催した。根津美術館の国宝・重要文化財展はどうなるかと思っていたが、開館80周年の記念イベントとして今年の開催となった。

根津美術館は国宝7点、重文88点を所有する国内屈指の美術館である。東武鉄道創始者の初代・根津嘉一郎が日本美術と東洋美術を中心に収集。2代目・嘉一郎が設立した財団が美術館をつくり公開が始まった。その審美眼の確かさと衆目を集めることが、国宝や重要文化財につながっている。(非公開の文化財だと指定させないこともあるらしい)

さて、展示会で石仏と古代の青銅器の一部、アンティーク時計を除き、陳列されている品々すべて国宝か重要文化財である。具体的には第一、二、五、六室はすべて重文以上。所有物のみで国宝・重文展が開催できる質・量を備える美術館は数えるほどしかないだろう。

訪れたのは11月で第一室に入って山水画の出迎えがあり、4作品目に国宝の因陀羅筆・楚石梵琦賛の布袋蔣摩訶図が展示されていた。断簡された5幅がそれぞれに国宝指定されている因陀羅筆の作品で、ふくよかな布袋様と親孝行の蔣摩訶が問答する様が描かれている。

その左右には牧谿作が囲む。右には竹雀図で、こちらは伝となっているので真偽は不明。雀の毛並みと腹の白い部分の描き方が秀逸であった。そして、 国宝の漁村夕照図。瀟湘八景のひとつで、同系の国宝では畠山美術館が保有する煙寺晩鐘図がある。靄のかかった山々に船を浮かべて投網をする漁民たち。なにげない風景を水墨画の濃淡だけで描いている。足利義政が愛した逸品で、八幅に断簡したが因陀羅筆と違いこちらは2幅のみ国宝となっている。

【皇室の名宝】花園天皇像 豪信筆 長福寺

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三の丸尚蔵館の名品が集合した京都国立博物館の「皇室の名宝」展の後期にぎりぎり行くことができた。

展示会は予約制となったため、予定が立つまでやきもきしながら予約サイトを見続け、スケジュール調整がついた途端に朝一番の開館すぐの時間で予約した。普段から15分前ぐらいに着くように心がけているが、今回も9時10分ごろに到着。3年前の国宝展では裏口近くまで列ができていたことを思い出したが予約制なので列は少ないだろうと予想していた。ところが列が全くできていない。近所迷惑?なので、予約時間前だが庭までは進めるようにしているのだろうと高を括っていたがすでに開館・入場していた。三密対策としてなるべく待たさない措置なのだろうが、朝一予約の特権としてうれしい対応だった。

早い時間での入場だったが、来場者はそこそこ入っていた。3階の書跡ではすでに列が出来ていた。前期に来たのでスルーしようにもほとんどが入れ替え。となりの絵巻物も巻替えや場面転換しているなど見どころばかり。ただ、2階にはまだ人がほとんど降りていなかったので断腸の思いで2階から見学した。

2階もほとんどが入れ替え。若冲動植綵絵も4幅とも入れ替えでもう一角の展示スペースが円山応挙から若冲に替わり、若冲スペースと化していた。

後期のみの出品国宝は1階にあった。山水屏風は京博所有で、灌頂儀式で用いる道具。仏教伝来の大陸へ渡ってするのが本来の儀式だが、時間や費用面でそうもできないので、せめて中国の風景でもという屏風である。結構傷んでいるのは、この屏風を使って僧侶が誕生した証である。

皇室の名宝ということで天皇肖像画もお目見え。ヨーロッパの貴族たちはかっこよく描かれていることが多く、一つの絵画として成立する。一方で、天皇家肖像画は特徴こそ捉えているようだが、お世辞にもかっこよくはない。花園天皇像でも垂れ目で志村けんのバカ殿のデフォルメ絵に似ている。皇室の権威主義が現れていない牧歌的な時代だったのかもしれない。

木造阿弥陀如来及両脇侍坐像 三千院

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京都観光で静寂を求めるなら大原の三千院だった。デューク・エイセスの「女ひとり」の歌詞では女性が寂しい旅をする雰囲気と合っていた。ただ、この歌の記憶にある人は昭和生まれ。いまや静けさとは程遠い賑わいのある観光スポットとなっている。

コロナ禍でインバウンド観光による外国人旅行者が減ったとはいえ、大原の人気は相変わらず。京都駅からバスで小1時間かかるにも関わらず満席状態(立っている人もちらほら)。秋の京都のイメージを作り上げたJR東海の「そうだ京都に行こう」キャンペーンCMの効果がまだ続いているのかもしれない。

バスで大原に到着して三千院を目指す。山の中にあるため参道は傾斜となっているがハイキング程度の登り。歩くこと十数分、寺院を示す石碑が登場した。すでに絵になる構図となっており、紅葉の素晴らしさはさすがだ。人気の観光地、京都観光の定番になるのも納得できる。

三千院天台宗のお寺で、青蓮院、妙法院(所管寺院に三十三間堂がある)とともに、天台宗の三門跡寺院の1つに数えられている。受付を済ませて建屋に入ると不動尊や元三大師など所々の祈りの場に鎮座していて静寂の雰囲気がビシビシ伝わってくる。しかし、それ以上に建物の隙間からこぼれる紅葉の美しさにより、心躍らされてしまい弾むように建物内を見学してしまった。

国宝は阿弥陀如来坐像と脇侍。3体は境内の中央に独立して建てられた専用のお堂内に鎮座している。写真のように周りを木々に囲まれ、静寂の中で人々を導いてきた。坐像の特徴は脇侍たちが少し前傾姿勢になっている点だ。仏像は直立不動や背をきっちり伸ばした坐像が多い。参拝者と同一に近い視線で拝むことができるためだ。また、大きな仏像は広い境内か広い堂内にあることが多く、距離を取って拝むことが可能なため視線を合わせるための調整ができる。東大寺の廬舎那仏の場合でもお堂に窓がついており、正月にはそこから仏さまが顔を出すことができるようになっており、回廊付近からだと視線が合った気になる。しかし、三千院阿弥陀如来坐像と脇侍は大きさの割にはお堂内はそれほど広くなく、外からもお堂が一段高く建てられているので正面を向いた像だと視線が合わない。そこで、人々に寄り添う形で前傾姿勢を取って頂いている。おもてなしの精神に通じるありがたい仏様たち。遠方の人々を呼び込むのもの、こういった日ごろの”姿勢”が大事なのかもしれない。

金堂 五重塔 法隆寺

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法隆寺と言えばご存じ金堂と五重塔の並列の伽藍配置。写真は大講堂から撮ったバックショット。秋空が澄み渡る景色に紅葉がチラリ。正岡子規もこの風景を見て、柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺と読んだのかもしれない。

horyuji-kondohekiga.jp

さて、五重塔と金堂はもちろん国宝なのだが、金堂は戦後すぐ1949年1月26年に火災を起こして壁画が焼けてしまった。焼失以前に壁画は写真撮影されており、平成に入りデジタル化を進めてきた。そして、デジタル化を終えてしかるべき場所でしか観ることができないのが平成まで、令和はそれらをインターネットで一般公開するところまで来ている。

すでに観ることが叶わない文化財が最先端技術により復活した。もちろん、先人が撮影して、それを受け継いできたことが大きいが、収集・保存そして再生して活用(展示)まで進める新たな文化財の流れが出来つつある。法隆寺に行っても観ることができないものが、お家で楽しめるとはなんて贅沢な時代なのだろう。

釈迦三尊像 法隆寺

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法隆寺の大講堂奥にある上御堂は毎年11月1日~3日の期間のみ特別公開される。今年はコロナ禍で多くの特別公開や特別行事が中止されていたが、上御堂の公開は無事に行われた。

法隆寺の寺院建築の多くは国宝に指定されているが、上御堂は重要文化財(それでも凄い)で、鎌倉時代に建てられた。本尊の釈迦三尊像が国宝で、公開が少ないためか仏像の表面の彩色が結構残っている。この三尊像は平安時代の作で、周りに四天王像(重要文化財)で囲んだオーソドックスな配置となっている。お堂自体の造りがこれらの仏像を収めるために設計されたようで、大講堂に比べると遊びのスペースが余りない。

堂内では特別に公開される3日間限定でお堂内で御朱印がもらる。以前は結構な列ができていたが、それほど並ばずに授かることができた。むしろ、聖霊堂で受け付けている一般的な御朱印の方が列をつくっていた。今年から来年にかけて聖徳太子にまつわる展示会が目白押しで、法隆寺の寺宝も奈良博と東博で公開される予定。世界の政治は人々の分断を煽ることで求心力を得ている現在、和を持って貴しと為す精神こそが尊ばれる時期かもしれない。

国宝拝観者たちの夢、千件越えをいつの間にか達成した。 毎年、国宝指定数が増えているので、容易にはなってきているものの、一つの目標が完結した。 次の1100件は果てしなく遠いので、1050件を一区切りにしよう。