国宝を観る

国の宝を観賞していくサイト

国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

十六羅漢図像  清凉寺

清凉寺十六羅漢図像は東博の東洋館に2幅展示されていた。東博所有の国宝・十六羅漢図像も本館で2幅、時期を合わせた形で展示していた。清凉寺のものは京博と分けて寄託されているので、国宝展で一度にすべてみられたことは貴重な機会だった。

十六羅漢仏陀の弟子16人を描いたものでヒョロヒョロの老人ばかりで見栄えがしない。観音様や花鳥風月など派手な作品ばかり見慣れるとおどろおどろしくも感じる。そもそも十六羅漢は寺院などの信仰の対象として崇める分には雰囲気があり申し分ない。薄暗い本堂で念仏を唱える中では十二分に効果ある図柄だ。それを寄託品とは言え、しっかりとした照明の元で見るのがナンセンスなのかもしれない。

華厳宗祖師絵伝 元暁絵 巻下 高山寺

今夏、コロナの影響により東博でスライド開催されたきもの展。この時期に開催予定だった展示会は鳥獣戯画展は来年に持ち越しとなった。鳥獣戯画展の残留思念体、もとい東博の国宝室では華厳宗祖師絵伝が展示されていた。華厳宗の歴史を伝える一大絵巻で、高山寺のお宝である。

京都や奈良など都は戦場となりやすく、焼き討ちなどで多くの寺宝が消失している。その点、高山寺神護寺の近くで京都の山奥にあるので戦火とは無縁である。そのため、高山寺には国宝指定の品々が結構ある。その一つが鳥獣戯画図で、ユニークさで世界中で人気な絵巻物である。一方で華厳宗祖師絵は宗派の歴史を伝える貴重なもので、信徒拡大の重要なツールである。国宝の絵伝因果が釈迦の一生を描いて仏教について伝えているが、こちらは華厳宗のについて描かれている。絵巻物はスライドさせて見ることから、紙芝居的な演出があり、結構派手目に描かれている。来年はぜひこの他の祖師絵を観たい。

【三井15周年】短刀 無銘貞宗 名物徳善院貞宗

三井記念美術館の十五周年展。同館が所有する国宝「日向正宗」は秋から冬にかけての特別展の目玉として展示が確定しているので、同展示会には不参加。国宝刀でもう一振り所有しているのが、無名貞宗・名物徳善院である。

名刀工を輩出した5つのくに五ヶ伝のひとつ相模の貞宗の作で、刃文が華やかな作品である。豊臣秀吉から前田徳善院玄以が拝領し、愛刀としたことが名物の由来となっている。玄以の息之が徳川家康に献上し、家康が更に紀州徳川家へ、さらに伊予西条松平家へ与えた。

表裏には不動明王金剛夜叉明王梵字に三鈷剣と香箸が巧みに彫られている。来歴がしっかりとしていて美術品としても美しい刀である。

【三井15周年】銅製船氏王後墓誌

大阪府柏原市で見つかった日本最古の墓誌。668年に作られたとされる墓誌は銅製金属板の表面に86文字、裏面に76文字、計162文字を刻んでいる。短冊形状で長さ約30cm、幅が約7cmとプレートしてそれほど大きなものではない。相当古い(当たりまでだが)ので、墓誌の本体錆びているので、刻んでいる字はとても見えにくい。

内容は松岳山上に埋葬された人物の来歴と夫人とともに埋まっていること、だがらこの場所は聖域だと主張している。あまり三井家と関係がないように思え、秘宝のなかでは変わり種。五島美術館の西都原古墳群出土品と同様に、場違いな気がしてならないのは私だけでしょうか。

【西国三十三所】普賢延命菩薩像 松尾寺

京都国立博物館で開催されている「聖地をたずねて 〜西国三十三所の信仰と至宝〜」。前期は開幕直後の7月下旬に行ったため、京都にもまだ涼しさが残っていた。しかし、後期の展示は酷暑の中での訪問となった。連日35度を超える気温に、夕方ごろから黒くて厚い雲が空を覆いゲリラ豪雨がいつ降ってもおかしくない異常な天気となっていた。

普段なら前期か後期のどちらかしか行かなかったが、コロナ禍でいつ展示会が中止・延期になっても文句が言えない状況なので、開幕したらすぐに行くこととした。そして、お目当てが後期に展示されるので、再度訪問することにした。

お目当てとは松尾寺所有の普賢延命菩薩像。松尾寺の宝物館では春秋に公開されているようだが、日本海側にある寺院で電車の便が悪いのでなかなか見に行くことができなかった。今回はわざわざ京博までお越し下さるということなので、満を持して拝見することにした。

普賢延命菩薩は象に乗っていることでおなじみ。その象の目が切れ長で、現実の象は人懐っこいまん丸お目目なので全く違う。昔の人は象を見たことがないので仕方ない。さて、松尾寺の普賢延命菩薩も象に乗っているが、その象の数がすごい。まず、菩薩が3党の象に乗っていて、その象たちの下に受け皿(法輪)を持ち上げる大量の象たちがいる。そのどれもが同じ顔をしている。今ならモブ処理で大量のコピペで仕上がるが、念の籠った軸だけで1頭1頭丁寧に描かれている。十二世紀のものにしては色も鮮やかに残っており、この地域の人々に大切に守られてきたことが分かる。

【三井15周年】雪松図屏風 円山応挙筆

f:id:kokuhou:20200820204715j:plain

円山応挙の雪松図屏風の特別展は三井記念美術館の冬の名物となった。今回は15周年記念ということで真夏に公開。館内はエアコンが利いていて涼しいが、雪松を眺めると一段と涼しさが増す思いがする。

三井家がパトロンとして円山応挙を支援したので様々な作品を所有している。展示はいつもの場所、展示室4の奥正面。ちょうど屏風が入る大きさで、部屋を作る際に展示室の入り口から観ると屏風全体が見渡せるベストな配置となっている。松は3本で右から老木、真ん中が成長期、左が若木となっている。老木は右隻にあり、はみ出すぐらいダイナミックに描かれており、老いてなお盛んを体現した表現となっている。左隻は薄墨の若い木と、対比するかのように屏風から溢れ出さんばかりの勢いのある成長期の松が描かれている。

この松雪図を観ると古今亭志ん朝の出囃子・老松が脳裏に流れる。左隻の松がCDにも残る若いころからの志ん朝のうまさと平成に入ってからの円熟味に重なり、右隻の大きさが還暦を過ぎて演じられたあろう志ん朝の芸を想像させる。京の至宝であるはずの円山応挙の雪松図屏風が江戸の華を想像させるのは、室町の地に構えて15年経ち浸透してきたからかもしれない。

【三井15周年】熊野御幸記 藤原定家筆

f:id:kokuhou:20200820204806j:plain

記録に残すことは重要である。公文書の管理が問題となって久しいが、最初から保存を諦めてしまったら、後世に伝わることはない。正確に歴史の判断を仰ぐことのできなくなるということは、後世の都合の良い歴史へと書き換えられても仕方がないということになる。きっちりとした文書管理が歴史を正確に伝える唯一の手段であり、残す手段が豊富にある現代技術をもってすれば容易なはずだ。

熊野御幸記は後鳥羽上皇が熊野詣した記録。1201年10月に、実施された旅に随行した藤原定家新古今集選者の一人)が日々を綴った旅行記の原本である。定家は明月記という56年にもおよぶ日記を残しており、記録魔的な側面がある。藤原家が繁栄できたのも道長御堂関白記などに代表される記録を残すことが一因となっている。この残す行為が歴史上著名な熊野詣での代表的史料となって、現代に伝わっている。修正や書き走りなど書に芸術性はいっさい感じないが、書き残す大切さが十分伝わる日記である。

国宝拝観者たちの夢、千件越えをいつの間にか達成した。 毎年、国宝指定数が増えているので、容易にはなってきているものの、一つの目標が完結した。 次の1100件は果てしなく遠いので、1050件を一区切りにしよう。