記録に残すことは重要である。公文書の管理が問題となって久しいが、最初から保存を諦めてしまったら、後世に伝わることはない。正確に歴史の判断を仰ぐことのできなくなるということは、後世の都合の良い歴史へと書き換えられても仕方がないということになる。きっちりとした文書管理が歴史を正確に伝える唯一の手段であり、残す手段が豊富にある現代技術をもってすれば容易なはずだ。
熊野御幸記は後鳥羽上皇が熊野詣した記録。1201年10月に、実施された旅に随行した藤原定家(新古今集選者の一人)が日々を綴った旅行記の原本である。定家は明月記という56年にもおよぶ日記を残しており、記録魔的な側面がある。藤原家が繁栄できたのも道長の御堂関白記などに代表される記録を残すことが一因となっている。この残す行為が歴史上著名な熊野詣での代表的史料となって、現代に伝わっている。修正や書き走りなど書に芸術性はいっさい感じないが、書き残す大切さが十分伝わる日記である。