国宝を観る

国の宝を観賞していくサイト

国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

火焔宝珠形舎利容器・五瓶形外容器 西大寺

国宝に指定されているものの多くが観た瞬間に美しいと思えるものが多い。それは美術的な細工の最高峰として美が見て取れるからである。西大寺の火焔宝珠形舎利容器は素材としての美しさに驚嘆した。

舎利容器は釈迦の遺骨を納めるものとして、それそのものが信仰の対象となる。なので、舎利容器を豪華に見せるための工夫がなされて火焔宝珠形にアレンジしている。美しさはそれら人工的な部分ではなく、真ん中にある水晶だ。究極の球状に仕上げた水晶の透明感は半端なく、それが5つも揃っている。見ていると吸い込まれそうになるぐらい異彩を放っている。数々の国宝を観てきた中で、素材の持つ力を感じるものはほとんどなかった。この火焔宝珠形舎利容器には五瓶形外容器がついており、おそらく普段はその中で大切に保管されていることだろう。展示によって外に出た、刹那の輝きを観た気がする。

両界曼荼羅 子嶋寺

冬の奈良大和路キャンペーンで1月に続き、2月もならまちの普段は入れない寺院を公開していた。京都に比べて宣伝が下手な奈良だけあって、それ程多くの人は来ていなかった。十輪院に近い興善寺と金躰寺の涅槃図公開に合わせて行ったが、見ると作画がほぼ一緒だった。ご近所なので作者からの売り込みがあった時期が同じだったのかもしれない。

ならまちの寺院公開にせっかく来たのだから、奈良博も訪れない訳にはいかない。毎年恒例のお水取り企画では重要文化財クラスの展示はあったが国宝はなし。同じようにこの時期に開催することが多い珠玉の仏教美術の展示では仏教美術の殿堂たる奈良博の名品が出ていた。

なかでも子嶋寺の両界曼荼羅は紺紙に金泥で描かれいるため、光り輝いて見えた。そして目を見張るのが、大きさで3メートル50センチと大迫力の大きさで作られている。平安時代一条天皇から子嶋寺中興の祖とされる真興が賜ったもので、芸術度・迫力・来歴のどれもが一級品。なかなかお目に出来ない(大きいので展示するのも一苦労)代物なので、ありがたく観させて頂いた。あと、昔のように照明を落として、ロウソクの火の中で観ることが出来れば、もっと幻想的になるので、そういう企画(本物では不可能なので模倣品でも可)があれば、ぜひ参加した。

 

北海道白滝遺跡群出土品 遠軽町埋蔵文化財センター

 

令和5年新指定 国宝・重要文化財の企画展が平成館で開催されている。実に4年ぶりだそうで、これまでは本館での開催だったものが、平成館での開催となっていた。ついこの前まで東博150年記念展示会を2階で行っていたが、訪れた時は閉まっていて、祭の後の静けさが漂っていた。

新指定国宝の展示は北海道白滝遺跡群出土品だけとだった。これまでは函館市の中空土偶が国内最北の国宝だったが、新指定の国宝はさらに北の紋別郡遠軽町で見つかった。なので、国内最北国宝の栄冠を手にした。

そして、旧石器時代では初の国宝指定で、それ以前のもので国宝指定物はないので最古の品でもある。石器製作の変遷や各種石器の組み合わせを良く示す資料的価値の高さが評価された。指定された数は石器が1514点、接合資料が451組となっている。

展示物を見るにつけ、黒曜石が黒々と輝いて黒い宝石のようだった。硬いにも関わらず加工しやすい点が石器として幅広い応用ができた。それが運良く残っていたものが出土した。

同時に国宝指定を受けた三の丸尚蔵館の国宝3点がパネルのみだったのが残念だが、出土品は認知度や優美さなどでは三の丸のものと比べて遥かに劣るものの、美しさはもしかしたら優っていたかもしれない。苦労して生活道具を作ったからこそ手先が器用な猿人類が誕生した。そんな歴史ロマンを感じる展示物だった。

智証大師関係文書典籍(目録) 園城寺


昨年11月に答申があった国宝・重要文化財(美術工芸品)の指定等の対象物を展示する企画展が東博で開催された。コロナ前までは4月下旬からゴールデンウィークにかけて開催だったが、コロナで答申の時期が変わった関係からか真冬の開催となっている。

さて、同企画展は東博内で開催されることもあり、国宝や重要文化財の指定を受けた中でも、展示されるのは美術工芸品だけである。指定を受けた中には建築物(不動産)もあるが、さすがに運ぶことが困難だからだ。(不動産の指定でも移動できるなら展示は可能)

新たに国宝指定を受けたのは4件。その内、三の丸尚蔵館所蔵の3件はパネルでの展示となり、実質1件と寂しい内容となった。それを補うためか、すでに国宝の指定を受けているものに追加された智証大師関係文書典籍が短期間であるが、展示されていた。国宝の件数自体に影響はない。

さて、智証大師関係文書典籍は新たに国宝に追加された資材目録を展示。とはいうものの、お役所へ提出するためにきっちりと書かれたものではなく、あくまでも園城寺で利用するために流れで書いている。なので、写経のような丁寧さはあまりなく、これまで国宝指定を受けていなかったのも、その辺りにあるのかもしれない。

世説新書巻 第六残巻 文化庁


台東区書道博物館東博からも近い鶯谷駅が最寄りである。線路沿いにはラブホテルが並び、文化的な施設に訪れる目的で歩いていても後ろめたい気持ちになる。

書道博物館東京国立博物館はご近所ということもあり、同一の企画内容で連携して展示会開催していて、今回はその開始から20周年だそうだ。20周年の企画に相応しい内容として選ばれたのが、書道のど真ん中、王道中の王道、企画展「王羲之と蘭亭序」を両館で開催している。

王羲之は書聖と崇められる書の大家。普遍的な美しさを備えた先進的な書法で、唐の太宗がこよなく愛し、大陸全土から王の書を収集した。その収集への情熱は異常なまでで、今回のテーマにもある蘭亭序は王羲之が宴席で揮毫したもので、本人も認める最高傑作とされる。太宗の入手方法は強引だったようで、墓の副葬品とするぐらい熱中してしまったようだ。

そんな王羲之の書の真筆は全く見つかっていないが、太宗が作らせた摸本や拓本が残っている。日本にも国宝として、前田育徳会所蔵の孔侍中帖が模写ながら指定を受けている。

さて、東博での展示では三の丸尚蔵館所蔵の喪乱帖の展示を期待していたが、新規国宝指定を含めて貸し出しはなかった。その代わりではないが書道博物館では期間中に国宝の世説新書巻の展示があった。 世説新書巻は全部で4つ国宝の指定を受けているが、個人蔵以外の3つが期間を分けて展示される。展示される順に文化庁・京博・東博の所蔵で、あまり展示されないものなので、この連携20周年を祝しての展示なのだろう。

見に行った時は文化庁のものが展示されていた。2階の特別室、入り口から見て右側に陳列していた。中国史上・楷書の最高傑作ぐらいのあおり解説が書かれていたが、間違いなく美しい字体であった。(個人的には奉納用に写経された国宝経典も同じぐらい美しいと思う)拓本や王羲之の影響を受けた書家たちの作品が並ぶ中でも、ずば抜けて美しく、逆に言えば個性が全くないようにも見える。太宗が愛した文字の完成形をここに見た気がする。

なお、東博での展示は一部を除いて写真撮影がOK。この企画を両館で観ることで王羲之の偉大さの一部でも感じることができると思う。

福岡県宗像大社沖津宮祭祀遺跡出土品・伝福岡県宗像大社沖津宮祭祀遺跡出土品

宗像大社は福岡県宗像市にある神社。御神体沖ノ島で、島では現在でも女人禁制、禊や一木一草一石たりとも持ち出し禁止となっている。

古くから海上・交通安全の神として信仰されている。そのため、島では連綿と祭祀が行われてきたが、立ち入りが制限されていたり、持ち出しが厳禁だったことが幸いし、古墳時代から平安時代にかけての古代祭祀遺構や装飾品などの大量の祭祀遺物が残っていた。発掘調査が行われた結果、約8万点に及ぶ遺物が一括で国宝指定を受け、数量で日本一となった。これら孤島から発掘されたことを受けて、沖ノ島は俗に海の正倉院と呼ばれている。

さて、宗像神社と関わりの深い美術収集家として出光佐三がいる。言わずもがな、佐三は出光興産の創業者にして、出光美術館の設立者である。佐三は旧宗像郡赤間宿の出身で、宗像神社を崇敬していた。事業で成功した後に、神社が荒廃しているのを憂いて、修復のための寄進を行った。ただ、名を残すのは恐れ多いと境内にはそれを示すものは残さなかった。いまは神宝館などに佐三を顕彰する展示があるが、滅私奉公を体現するエピソードである。

munakata-taisha.or.jp

宮地嶽古墳出土品 宮地嶽神社

福岡県福津市にある宮地嶽神社。大陸と九州をつなぐ玄関口に位置し、参道は玄海灘まで真っすぐ伸びている。その神社には奥之院八社があり、三番社・不動神社がある場所に宮地嶽古墳はある。江戸時代末期に発見された。石室が全長は23mあり、全国で2番目に長い。副葬品は馬具、太刀、ガラス玉など、約300点が発見された。ガラス板など近畿で発見されていない遺物もあり、その豪華さ貴重性から地下の正倉院とよばれている。

なお、宮地嶽古墳出土品は九州国立博物館に大半が寄託されているが、別に国宝指定を受けた瑠璃壺と銅壺は東京国立博物館に寄託されている。

www.kyuhaku.jp

 

www.miyajidake.or.jp

国宝拝観者たちの夢、千件越えをいつの間にか達成した。 毎年、国宝指定数が増えているので、容易にはなってきているものの、一つの目標が完結した。 次の1100件は果てしなく遠いので、1050件を一区切りにしよう。