国宝を観る

国の宝を観賞していくサイト

国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

円珍贈法印大和尚位並智証大師諡号勅書 小野道風筆 東京国立博物館

国宝の中で観る視点で全く別の内容での展示カテゴリーが複数ともに国宝指定に相応しいものはそれほどない。円珍贈法印大和尚位並智証大師諡号勅書は宗教と書跡の両面で国宝クラスとなっている。

宗教面は円珍が大師の称号に相応しいと認定された点で、天台宗寺門派の確固たる位置づけが確定した。書籍としては中務省で宮中の文章を書く仕事をしていた小野道風の作。後に藤原行成藤原佐理と並んで三蹟と称された人物が官吏の身で書いたにも関わらず、草書の混ざる行書で書いて個性を見せている。もちろん、公文書である勅書であるため、天皇玉璽がバンバン押されており、書としての価値を高めている。

伝説の僧侶のための勅書を、伝説になる書家が書く。奇跡のコラボが堪能できる。

 

 

伝教大師入唐牒 延暦寺

最澄天台宗のすべて展は2021年秋に東京国立博物館で始まり、冬が九州国立博物館、そして2022年春に京都国立博物館と巡回した。共通する展示もあったが、それぞれの地域に合わせた展示内容となっていた。だが、あまり認識されていないようで、京博には大混雑するほどには人が来ていなかった。

原因はキービジュアル。東博か九博で見た同じような展示を彷彿とさせるものが大きく、京博のみ出品が隅に追いやられている。開催が後になることが分かっているのだから、京博オリジナルを前面に出していたら春の陽気と共に来場者が殺到していたことだろう。まぁ、ゆっくり見ることができたのでそれはそれで顧客満足度が高い展示会だった。

この巡回展には九博を除く、東博と京博に行った。東博では天台宗の名僧ごとに時系列でコーナーを造り、分かりやすい配置となっていた。京博は平成館の展示用ショーケースの問題もあり、書や絵画、彫刻など分野ごとに展示。配置を作り込みによるオーダーメイドができない既設の展示会場の限界だ。

いつも通り、3階から下っていく鑑賞方法で、3階入り口に国宝の聖徳太子及び天台高僧像の龍樹と善無畏と天台四祖像の後に書が並ぶ。経典などがあるなかでも、最澄が世に出る契機となる海外留学時のパスポートである伝教大師入唐牒は天台宗では最重要アイテムのひとつであろう。正規の留学僧であったことを示すとともに、この入唐がなければ天台宗は存在しえない。以後の円珍、円仁といった名僧も最澄のように大陸へ渡り、学んだことが天台宗の内容充実に生かされ、鎌倉仏教を生み出した僧侶たちの学びの場へと発展した。

入唐牒は最澄自筆に申請とそれを許可した形の書類となっている。明州と台州の2通が存在する。最澄の自筆と分かる書としては天台法華宗年分縁起や久隔帖、羯磨金剛目録、請来目録があり、今回は請来目録と伝教大師入唐牒が展示されていた。しっかりとした力強い字で、正式書類となっていることもあり空海に比べると読みやすい字である。大陸で直接学んだということと、南都仏教に対抗する必要がある時代背景が最澄、そして空海を生み出す。その歴史の生き証人的な書である。

石水院 高山寺

神護寺の春の公開を見た後、秋にしか訪れたことがない高山寺の石水院に行った。

紅葉で有名な高山寺は秋の観光シーズンともなると多くの人が訪れる。この人の多い寺院という印象が残っていたので足が遠のき、しばらく訪問していなかった。昨年の今の時期に東博では鳥獣戯画展が開催されていて、展示会場では初?の試みである動く歩道を設置したことで話題となっていた。

高山寺につくとこの秋に福岡で鳥獣戯画をメインに据えた展示会が開催されるとのポスターを発見。東京では見ることができなかったため、福岡はどうするか迷いつつ、石水院に着く。意外と人は少なく、先客は数名いる程度だった。

石水院は建物の外観を楽しむというよりも、中から見た風景を楽しむ建物となっている。秋に来たときは目の前の山々に広がる紅葉の風景が疲れを取り除く。ただ、周りに人が多くガヤガヤしていたので落ち着いて観る場所ではないと感じていた。

今回、ほとんど人がいない中で、新緑を楽しんだが、それも心癒される風景だった。また、外野の賑わいが全くないため、落ち着いて心のデトックスを堪能できた。パンフレットには雪の風景などもあり、四季によって味わいが違うことが想像できた。観光シーズンを外してもう一度訪問しておきたい場所となった。

さて、国宝建築となったのは高山寺発展の立役者・明恵上人がいた頃から残る唯一の建物だから。もとは金堂近くにあった経蔵を明治時代に現在の地に移設した。国宝を多く所有している寺ではあるものの、そのほとんどを寄託しているため、常時見ることができる唯一といってよい国宝となっている。ただ、部屋には複写した国宝たちが並ぶので、いかに高山寺がすごいかは分かる。

五大虚空蔵菩薩像 神護寺

神護寺ゴールデンウィーク恒例、虫干しによる国宝公開は中止となったが、その代わり多宝塔にある五大虚空蔵菩薩像の御開帳が5月3日~5日にあった。例年は5月13日~15日と10月8日~10日のみに公開されるのが、コロナのため、しばらく中止されていた。

多宝塔は金堂の裏山に建てられ、境内を見守るように造られている。普段は門が閉まってひっそりとした場所だが、この日は門が開いて受付ができていた。塔内には五大虚空蔵菩薩像のみが鎮座していて、持ち物が違う5体が似たような造りをしていた。一木造りで部分的に木屎漆で仕上げている。それぞれの像には色が決まっているゴレンジャー方式ではあるが、歳月とともに剥げ落ちているのでほぼ地だけとなっている。

さて、堂内での解説はCDに録音されたものが7分程度流される。その解説の中で、河内の観心寺にある国宝・本尊如意輪観音菩薩に似ていると指摘していた。言われてみると顔立ちはそっくり。空海の軌跡を踏む僧侶たちが高野山から観心寺へ移動し、大阪へ出て川を登って京都へ。そして神護寺へと移動していた時に五大虚空蔵菩薩像へ報告すると地域を越えて同じ顔が並び安心感へとつながる。

薬師如来立像 神護寺

5月のゴールデンウィークの期間、神護寺では虫干しするため寺宝の数々がお里帰りし、公開されるはずだった。しかし、コロナの終息が見通せないため、中止となった。せっかく、NHK大河ドラマで鎌倉殿を放映されているにも関わらず、伝源頼朝像とご対面することはできなかった。しかし、神護寺の金堂には写しがあったことを思い出し、訪問した。写しと言っても年代物で少々色あせて飾られているもので、パネル展示と言った方がよい。この他にも両界曼荼羅などもあったが、本物には程遠い。

やはり金堂内では本物の国宝である薬師如来立像が主役となる。カヤの一木造りで奈良時代から平安時代初期の作風。高さは約170センチメートルでほぼ垂直で立っている。全体的に大まかに作られている雰囲気で、衣が隆起する様子なども形式的に彫られている。全体的に肉感があり、顔立ちもふっくらしている。

薬師如来立像は須弥壇のセンターにして厨子に入っている特別な存在。その周りにはいろいろな仏像が並ぶ。これらを見るために内陣に入ることができるので、じっくりと拝見できた。神護寺の中央ステージたる金堂はにぎやかである。

短刀 銘来国俊 黒川古文化研究所

黒川古文化研究所の展示室はそれほど広くはなく、名品展では余り展示数は多くない。その中で、鈴木其一や渡辺崋山の江戸時代中期の日本画の名品や、伏見天皇宸翰御願文は重要文化財に指定される名品である。

その中で一番の名品は短刀の銘来国俊である。来国俊の銘が刻まれている数少ない刀剣で、来国俊の代表作のひとつにかぞえられる。大和郡山藩柳沢家伝来で、上野館林藩士だった柳沢吉保が5代将軍の徳川綱吉から賜った。柳沢吉保元禄時代大老格として幕政を主導。王朝文化への憧憬を強く抱いた文化人でもあり、江戸に六義園を造営した 。

来国俊は鎌倉後期の刀工で、山城(京都)で活動していた。来が付く国俊と来がつかない二字だけの国俊存在し、来国俊は5振が国宝の指定を受けている。短刀が多く、刃文は直刃となっている。乱れた刃文に比べて、実直感があり素直に美しいと思える王道の刀だ。

 

短刀 朱銘貞宗 本阿花押(名物伏見貞宗) 黒川古文化研究所

国宝の刀を二振所有している黒川古文化研究所で名品展を開催、その展示会で2振とも展示されているというので、現地に見に行った。

黒川古文化研究所兵庫県西宮市苦楽園にあり、東洋美術を中心に収集している。春と秋の1か月間程度の開館で、常時開いている訳ではないので、これまで行く機会がなかった。最寄り駅が阪急の甲陽園駅で歩いて30分ぐらいと書いてあったので、気軽に出かけたがまさかハイキングする羽目になるとは思いもよらなかった。

駅から最短距離の道がスーパーの阪急オアシスの横の道なのだが、いきなりの山道。店自体が山に沿って建てられており、駐車場などは2階部分にあるのだが道なりに入出庫していた。階段があり登りきると住宅街にでる。そこを抜けると山道となりハイキングコースへ。登山服に身を包んだ人とすれ違うことが幾度もあった。やがて甲陽学院高校、涼宮ハルヒシリーズで有名になった西宮北高校を横目に見つつ、ハイキングは続く。両高校とも電車通学ならば毎日ハイキング。制服を着て通学すると半年でダメになりそう。

どこも山に建てられているだけあって、振り返ると神戸市内を一望できる。映画・涼宮ハルヒの消失では高校から見下ろす綺麗な夜景が再現されていて、西宮北高校まで一度でも歩いて通った(登った?)人はその時のしんどい思い出と、映画の再現度合いの素晴らしさが一気に押し寄せて感動すること間違いなし。観てから行くか、行ってから観るか、その両方か。いずれにしても京アニクオリティを堪能できる。

さて、西宮北高校を抜け、大きな道路を渡ってからラストスパート。大きな一戸建てが建ち並ぶなか、頂上付近に黒川古文化研究所はある。ここに来て気づいたのが、苦楽園が高級住宅街で歩いてくることを前提にしていないことだ。入り口には本数は限られるが苦楽園口駅からの無料の送迎バスが止まっており、次回はこれを利用すると心に誓った。

ようやく黒川古文化研究所に到着したが、登山後の検温は普段よりも高め。係員も分かっているようですんなりと通してくれた。1階は講演などを行う部屋や事務所があるのみで、展示場は2階の1室となる。

展示は古代中国の青銅器から古墳からの出土品、古銭や小判、江戸の絵画など時系列に展示していた。国宝刀は隣同士に陳列。 名物伏見貞宗は朱で貞宗と銘を書かれた刀で、本阿弥家が鑑定した享保名物帳に記載された名刀。加藤嘉明が加々爪甲斐守から入手し、近江の加藤家に伝来。本阿弥家の鑑定で朱が入れられ後、明治になって本阿弥家が購入し、黒川福三郎に譲渡された。来歴がしっかりとした刀である。

相州の正宗の子もしくは養子である貞宗作で、国宝には4振が指定を受けている作家である。東博の亀甲貞宗ヘビーローテーションで展示されているので、会う機会の多い刀工である。

国宝拝観者たちの夢、千件越えをいつの間にか達成した。 毎年、国宝指定数が増えているので、容易にはなってきているものの、一つの目標が完結した。 次の1100件は果てしなく遠いので、1050件を一区切りにしよう。