国宝を観る

国の宝を観賞していくサイト

国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

【東博150年】七弦琴

来年の国宝関連の展示会で一番楽しみなのは東京国立博物館150周年記念展示会である。なにせ、国内では最多の国宝保有数を誇る東博が、出し惜しみなくすべての所有国宝をこの時期に展示すると発表したためだ。そこで、2022年秋に向けて東博所有の国宝をひとつひとう見ていきたい。

まずは法隆寺の献納宝物11件。七弦琴は国宝では珍しい楽器が指定を受けている。正倉院の宝物など国宝クラスの楽器御物は存在する。唐からの輸入品で一般的な13弦の箏とは異なって7弦となっている。弦は張っていない状況で展示しているので、本体の美しさをじっくり見る美術品となっている。

レア★☆☆
観たい★☆☆
コラボ★☆☆

emuseum.nich.go.jp

源氏物語絵巻 徳川美術館

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国宝の源氏物語絵巻が巻物となって蘇った。徳川美術館所蔵の国宝・源氏物語絵巻は断簡されて木枠にはめられて保管されていた。当時の保管方法としてはベストな方法だったかもしれないが、時代を経て傷みが目立つようになったことから修繕することとなり、その機会に元の巻物状態へ戻す作業を行った。それが完了したことを記念したのが2021年秋の展示会である。

同展示会では源氏物語絵巻を観賞する前に、徳川家が収集した唐物美術の企画展が開催されていた。こちらも源氏物語絵巻以上の逸品が陳列されていた。とくに東山御物と呼ばれる足利家が蒐集した美術品は名品であった。玉澗筆の瀟湘八景・遠浦帰帆図は水墨画で薄墨により遠方感を出し、果てなる奥行きを想像させる。特別出展の伝牧谿作の瀟湘八景・洞庭秋月図は畠山記念館で観た煙寺晩鐘図や根津美術館の漁村夕照図と連作だと思われる。靄のかかったような薄っすらとした風景がどの作品にも観られるのが共通だ。そこに、なにも描かれていない部分に船を浮かべることで、まるで静かな湖面をイメージさせる。ないものをあるように見せ、遠近法でなく墨の薄さだけで奥行きを見せる技術力は牧谿作と伝わるのもうなづける。国宝の指定替えがあってもおかしくない作品だ。

家康所有の龍虎図はかなり大きく、城の大広間などに掛けられても迫力が伝わる作品。龍が陳容、虎が牧谿と伝えられているが、有名人の作品として箔をつけた言い伝えだろう。それがなくても立派なもので、もっと広い場所で観たい。同企画展では江戸時代の美術品目録である「君台観左右帳記」もいっしょに展示してあり、当時から宋元時代のものは人気があったことが書によっても理解できた。

さて、部屋を移り源氏物語絵巻の展示スペースへ行く。展示の半分は複製・再現したもので、現代美術家が当時の艶やかな姿を蘇らせた。五島美術館では国宝と再現したものを比較しやすいように近い場所で展示していたが、こちらではまずは複製品を見て、後半に怒涛の国宝巻物ラッシュという展示となっていた。

国宝の絵巻物は巻頭から文章、絵画という流れとなっている。出だしは金箔をふんだんに散りばめたデザインだが、豪華だがシンプルにまとめていた。そこから色紙にストーリーを書き、絵画へとつなげていた。断簡されたとはいえ、もともと継ぎ目に合わせて裁断しているので、元に戻すのは無理難題ではない。むしろ、茶室などで掲げるために売買するため断簡されていないため、バラバラになっていないことから復元が可能となっていた。尾張・徳川家がすべてを大切に受け継いだ証拠である。

さて、個人的に断簡状態で観るか、巻物で観るかどちらがよいかというと、断簡の方である。なぜなら、巻物状にすると見学の列の動きが非常に悪くなる。観たい場面が多くの人がいっしょのため、滞留する場所が決まって来る。そこがボトルネックとなって詰まってしまってスムーズに見ることができないためだ。巻物を観るには鳥獣戯画の展示会のように動く歩道の導入にかぎる。

【きのくにの名品】古神宝類 熊野速玉大社

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きのくにの名品で絢爛豪華な展示物は熊野速玉大社の古神宝類である。一括で国宝指定を受けているため、単品や数点での展示はよく見かけるが、これだけの点数を一度に展示することはあまりない。織物や工芸品、箱や扇、鏡などがあり、そのどれもが丁寧に作られていた。特に工芸品や箱などは金銀をふんだんに使って仕上げていた。千代姫所用の徳川嫁入り道具に匹敵する眩い品々となっている。日常品が大半なのは熊野速玉大社へ奉納することで神の国へ旅立った人が死後の世界でも日常品がなくて困らない様に願いを込めている。

さて、ロビーでは仏像などの彫刻が多数展示していた。なんでも見るだけでなく触って体験するコーナーで、普段は見るだけの像たちに手で触れることでより立体的に観賞する企画となっていた。発想はとてもよく、普段なら絶対に体験していたがコロナの影響で躊躇してしまった。次に同じ企画があれば触れてみたい。

 

【きのくにの名品】人物画象鏡 隅田八幡神社

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きのくにの名品展は出展されている点数が多いため、普段は常設展示をしているコーナーにも展示が波及していた。時系列に並べられた展示は荘園などの年貢の文書や田畑を検地した地図など、貴族や寺社が領地化すた証明ための中世の資料が展示してあった。

その一角に隅田八幡神社の人物画象鏡が展示されていた。5世紀から6世紀に作られた鏡で、鏡背に48文字の金石文が刻まれている。ここに時代と鏡を作った由緒らしきものが書かれているため歴史的資料になっている。なんとなく漢字ぽい文字で刻まれているので、読めそうなのだが、展示物を見るために列になっていてゆっくりと読むには忍びなく、最初の方だけ見て次の展示へと移ってしまった。できるなら円形に配されているので、手に取って回しながら読んでみたい。この鏡も普段は東博に寄託しているようで、久々の紀州へのお里帰りとなった。

【きのくにの名品】銀銅蛭巻太刀拵 丹生都比売神社

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和歌山県は江戸時代は紀州藩で徳川家が直接支配していた。水戸・尾張と並ぶ御三家で、暴れん坊将軍でお馴染み、徳川吉宗を輩出した。県立博物館の前には馬に乗った銅像があり、テレビドラマのオープニングさながらの躍動感ある像に仕上がっている。

名品展でも武にまつわる品を展示している。銀銅蛭巻太刀拵は拵のデザインがとぐろを巻いているようなデザインで、元は銀色だったものが年月とともにいぶし銀となり渋い色になっている。神社に奉納された拵のみが国宝となっている。そのため刀身がない。平安時代の作品だそうで、反りの浅い太刀を入れるために作られた。文字通り実用品出ない観賞用の国宝となっている。

【きのくにの名品】熊野速玉大神坐像・夫須美大神坐像・国常立命坐像・家津御子大神坐像 熊野速玉大社

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和歌山では文化祭りが絶賛開催されている。その催し物に合わせて、和歌山県立博物館できのくの名品展が企画されていたので、見に行った。

紀州は全国6位の国宝保有県である。県内に高野山があることが大きい。しかし、霊宝館100周年記念で大半の国宝が登場した。なので、高野山からは点数の多い続宝簡集と又続宝簡集の中から出品されていた。

今展示会の目玉は熊野速玉大社の坐像たちだ。国宝指定の神像は薬師寺の木造僧形八幡神神功皇后・仲津姫命坐像がある。熊野速玉大神坐像たちはそれよりも大きくすべて1メートル近くの高さがあった。熊野速玉大神坐像はメインビジュアルにも採用されている凛々しいお姿。父性を感じるがっちりとしていた。一方で夫須美大神坐像は丸みを帯びたフォルムで母性を象徴する造りだった。国常立命坐像は痛々しく劣化している部分があり引き裂かれた木がむき出しになっていた。家津御子大神坐像は最近見た国宝の聖徳太子像を彷彿とさせる若々しく凛々しいお顔立ちであった。

 

千手観音像 道成寺

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妙満寺から期間限定で道成寺へ里帰りを果たした鐘

道成寺は歌舞伎などの演目でお馴染みの寺。嫉妬にかられた清姫安珍を道明寺へ追い詰めた。男が身を隠すために鐘の中に身を潜めた。鐘の中に男がいると気づいた姫が龍になって蒸し焼きにしたとの伝説が有名で物語として大衆に広まった。

そんな、物語の道具として必須の鐘だが、普段は同寺院にはない。なんでも、根來衆を成敗した豊臣秀吉が戦利品として京都へ持ち帰ったためだ。その鐘が製作者である万寿丸の生誕700年を記念してお里帰りをしていた。本堂のお前立の千手観音前に祀られている。

さて、この本堂の千手観音像は国宝ではない。国宝は大宝殿にある。そこには同寺院の誇る仏像群が鎮座しており、差し詰め仏像の見本市状態になっている。それでも十一面観音像は中心に配置されつつ、大きさで圧倒しているため、一番目立つ。両脇侍も国宝となっており、京都や奈良の大寺院にあってもおかしくない出来栄えだ。

そして、千手観音像はもう一つ、秘仏がある。それが本堂の裏側を見つめるように立っている大きな仏像で、鐘が帰ってきたことを祝して御開帳されていた。こちらは武骨で顔が大きい。都のある北側を向いていて、当地の娘を夫人に迎えた文武天皇が創建に関わったため、都の安寧を願っているそうだ。

国宝拝観者たちの夢、千件越えをいつの間にか達成した。 毎年、国宝指定数が増えているので、容易にはなってきているものの、一つの目標が完結した。 次の1100件は果てしなく遠いので、1050件を一区切りにしよう。