国宝を観る

国の宝を観賞していくサイト

国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

塑造十二神将立像 新薬師寺

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春日大社より南へ歩くこと十数分。山の辺の道沿いにある新薬師寺東大寺興福寺など大寺院が乱立する奈良市内にあって、足しげく通うには少し距離がある。

国宝の十二神将立像のうち伐折羅大将は日本の500円切手のデザインされたこともあり、人気の彫刻となっている。どの像も厳つい顔をしている。12方位を守るには打ってつけの警備兵といったところだ。

さて、堂内の片隅(入り口の反対側)に極彩色の十二神将があった。作られた当時の色を再現したものだそう。これだけ鮮やかな像だったら、多くの参拝者を集めたことは想像に難くない。現物のほうはというと少し暗いこともあり、彩色が残っているかどうか見えづらい。プロジェクションマッピング技術を用いて彩色を再現したら足しげく通う人も多くなるだろう。

透彫舎利容器 西大寺

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奈良博からほど近い西大寺に1月に行った。その時、聚宝館で金銅宝塔(壇塔)を見た。背丈の半分ぐらいの大きさの塔で、宝館の中心に置かれいた。そして、奈良博では西大寺の透彫舎利容器が展示されていた。こちらは釣り燈篭ぐらいの大きさで、持ち運びも可能なぐらい。舎利を入れる容器だけあって豪華な彫刻がなされており、見るからに丁寧に扱わないといけない気持ちになる。雰囲気は少し中華風の造りで龍などもくっついている。鎌倉期に作られてもので、国風文化が衰退した時期と重なり禅宗勃興と相まって大陸文化と結びついたのだろう。

さて、国宝ではないがこれからの奈良博の陳列でメインを執る仏像が登場した。金峯山寺仁王門の金剛力士立像で、等身的にはずんぐりむっくりな出で立ちをしているが、慶派の仏像らしく筋骨隆々として、ザ・マッチョなものとなっている。腕の角度だけで力強さが分かる表現は圧巻で、令和10年まで間近で見ることができる。もしかしたら、この期間で国宝に鞍替えの可能性もある。

法華経 (一品経) 慈光寺

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東大寺のお水取りは2月下旬から3月中旬まで行われ、これが終われば奈良に春が訪れる。奈良国立博物館ではこの期間中にお水取り関連の資料を展示する企画展を開催している。1270年の歴史ある伝統行事だけあって重要文化財はそこかしこにある。しかし、お水取り関連で国宝はない。

続けて、全国で開催されている建物関連の企画展示が奈良博でも開催。なら仏像館となっている旧館の歴史的資料を展示。設計したのが片山東熊で、師匠となるジョサイア・コンドルで学んだ直筆卒論は必見。明治政府が西洋列強に追いつくためにお雇い外国人を通じて学ぶことの重要性を認識して優秀な学生を多く輩出する政策をとって近代日本の礎を築いた一端が見えた。しかし、ここにも国宝はない。

ようやく、珠玉の仏教美術で国宝とご対面。経典ももとはと言えばインドから中国に渡り、漢字に直されたものを輸入した、いわば異国の知恵を学んだ一端。それを日本風に豪華に仕上げたものが慈光寺の法華経だ。見開きに金泥による豪華な絵が描かれていて、経も写経生による綺麗な字で仕上げている。以前、埼玉県立歴史と民俗の博物館で見たものは美しさに見とれてしまったが、奈良博のものは少し朽ちた部分があり、同様に展示してあった金剛峯寺大般涅槃経中尊寺経〉の方が見ごたえがあった。ただ、経典類は大量に見ると違いがだんだんと分からなくなるので、絵画などを間に挟んで見て楽しんだ。

 

多宝塔 金剛三昧院

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高野山の国宝建築物は不動堂の他にもう一つある。金剛三昧院にある多宝塔がそれである。1223年に建立された塔で、石山寺の次ぎ日本で2番目に古い多宝塔である。

高野山にたくさんある塔頭寺院のひとつである金剛三昧院は、北条政子の発願により源頼朝の菩提のために禅定院として創建された。開山供養には栄西も招かれ、開山第一世となった由緒正しい寺院である。金剛峯寺の壇上伽藍から少し離れた位置にあり、商店が軒を連ねる中心地の背後にある。少しわかりにくいが看板が建っているので見逃さなければ迷うことはない。経蔵や客殿など重文クラスも数多くあり、高野山に行った際は見ておきたい場所である。

 

不動堂 金剛峯寺

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高野山金剛峯寺真言密教の道場として伽藍に多くの建物が建っている。しかし、標高が800メートルの山上盆地に建っていることもあり、多くの建物が落雷による火災で焼失し、創建当時の建物は皆無となっている。比叡山延暦寺にも言えるのだが、山頂にある伽藍では法隆寺興福寺などの平地にある寺院と比べて国宝建築物は少ないのは自然に抗うことができない証拠かもしれない。

さて、金剛峯寺の伽藍で唯一の国宝が不動堂である。不動堂は1197年に、鳥羽天皇の皇女である八條女院こと暲子内親王の発願によって建立されたと伝わっている。しかし、調査によると現在の建物は鎌倉後期に建立されたと考えらている。それでも様式は平安時代の住居建築に近く、古式の様相となっており歴史ある建物として国宝にふさわしい。

もともとは女人堂付近にあったが、1908年に伽藍内に移設。そのため、他の建物は向きと並びが整然としているのに対して、不動堂だけが伽藍全体から見ると微妙な位置と向きになっている。そのため、写真のように大塔を背後に受ける形になっている。延暦寺の根本中堂が国宝であることから、金剛峯寺にも伽藍内に国宝が必要だと考えた苦肉の策なのかもしれない。

不空羂索神変真言経 三宝院

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さて、高野山に訪れたのはキャンペーンに当選したから。

www.koya.org

GOTOキャンペーンが大々的に喧伝されていた時期に、高野山1万人ご招待キャンペーンなるものが実施されていた。応募すると見事当選。期限が近づいてきたので急いで利用した。

コロナが沈静化している時期ならば多くの来訪者が来て、町を活性化させる起爆剤となっていたが、時期が少し悪かった。それでも昼食を頂いた店では、このキャンペーン当選者と思しき団体が豪勢なランチを堪能していた。

折角訪れるのならば多くの国宝を観たい。そんなことから密教の美術展で後期のみ展示される不空羂索神変真言経に焦点を合わせて訪問した。真言経の内容はちんぷんかんぷんだが、所々にでてくる不空羂索の文字が目に入り、だからそうゆう名前がついたのだと感心した。国宝の不空羂索観音像は東大寺興福寺広隆寺の3体で、この半年間ですべて見ている。どれも大迫力の像だが、その謂れやご利益が書かれている聖典で、この経典を元に彫られていると思うと神々しさを感じる。

金銀字一切経 (中尊寺経) 金剛峯寺

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冬の高野山は標高が高いため雪が積もり、修行僧には厳しい場所である。しかし、今年は暖冬の影響で2月中旬にも関わらず多少の残雪がある程度。むしろ、訪れた時は春の陽気となり快適なぐらいだった。

コロナ禍の影響もあり、高野山に観光客はほとんどおらずメイン通りの商店は半分程度閉まっていた。修行の場が本来の姿ではあるものの、賑わいがないのは少し寂しい。

2021年度に開館100周年を迎える霊宝館。国宝・重文クラスを惜しげもなく公開する発表が先日あったが、その前の露払いとして訪れた。密教の美術はよく使われる題で、国宝を展示していたのは新館だけ。観光客など人気のない街ではあったが、霊宝館にはぽつぽつと人が来ていた。

金銀字一切経はお経を執筆するのに一行ごとに金と銀交互に書いて美しさを際立たせている。保存状態がよいためか銀の酸化が進んでおらず光沢のある状態であった。

国宝拝観者たちの夢、千件越えをいつの間にか達成した。 毎年、国宝指定数が増えているので、容易にはなってきているものの、一つの目標が完結した。 次の1100件は果てしなく遠いので、1050件を一区切りにしよう。