国宝を観る

国の宝を観賞していくサイト

国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

良弁僧正坐像

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東大寺法華堂で執金剛神立像を観たならば、道を挟んで向いにある四月堂の隣にある開山堂も参拝しておきたい。

開山堂は法華堂(三月堂)と違い普段は開いておらず、12月16日にしか一般に開かれない。開山堂には東大寺初代別当の良弁僧正像が祀られている。東大寺の前身寺院である金鐘寺が聖武天皇の息子の早逝を追悼するために建てられた。その寺院を衣替えしたのが良弁で初代別当と開山主の栄誉を授かった。

開山堂の良弁僧正坐像は高倉健そっくりのイケメン国宝坐像。イケメンランキングならば東寺の帝釈天クラスだ。祖師たちの坐像はみんな年寄りばかりなので、若々しさもイケメンに拍車をかけている。

法華堂に比べて、列はあったものの開山堂はスムーズに参拝できた。時間帯によっては塀の外まで列が出来ていたようだが、それでも観光客が多かった時期に比べると人はそれほど多くない。堂内は係員の指示で密を避けるため入場規制が取られていた。そのため、良弁僧正をゆっくり拝むことができ、密でないため二人だけの空間が作れた気がした。七夕の織姫と彦星のように、来年の再開を誓い開山堂を後にした。

執金剛神立像 東大寺

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12月16日、東大寺秘仏特別公開が例年通り行われた。

ただし、コロナ対策を採った上での開催だった。

法華堂(三月堂)の執金剛神立像はいつもの通り、本尊の不空羂索観音立像の真後ろにある厨子を開放して拝観する形だった。ただし、入場までがいつもと違う形だった。

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まずは、受付が外に設けられていて、拝観料を払うと写真のようなA4用紙の整理券が配られた。寺が想定したほど参拝者が来ていなかったため、整理券の時間に関係なくそのまま列に並ぶこととなった。

待つこと15分。ようやく堂内に入る。御朱印は書置きのみで、所望する人は少なかった。例年通り出入口は一方通行。下足場で少し待って、いざ、国宝とご対面。本尊の不空羂索観音立像をはじめ、四天王像、梵天帝釈天金剛力士(阿吽)の9体がお出迎え。3メートルにもなる巨体たちが並ぶ。まさに進撃の巨人状態の仏像たちだ。すべての仏像には彩色が少しだが留められており、丁寧に保管されてきたことを物語っている。

内陣の仏像たちをじっくり見ていると、キッチンタイマーの音が堂内に響く。執金剛神立像が見える裏のスペースが密にならないため、15名以下の人数で5分間の参拝基準で案内していたためだ。これまでは自由に見ることができた。時間帯によってはぎゅうぎゅうの中で移動の流れに飲まれてじっくり見ることができなかった。今回は必ず5分間は限られた人数で見るので、じっくり見ることができた。

立像を見るのに精いっぱいだったため、今回初めて厨子の前に狛犬がいたことにびっくり。また、厨子の左右には、左に武士の戦姿と右に山水画っぽい板絵が描かれていた。江戸時代に寄進されたものだが、法華堂の雰囲気に合っていない。

執金剛神立像はいつもながら力強い。腕に血管筋が出るまで力いっぱい見得を切る姿は何度見ても飽きることがない。国宝の仏像彫刻で同じ身長して格闘技をすれば間違いなくナンバーワンになるだろう。堂内の入場人数を制限した御蔭で国宝仏像10体をじっくり鑑賞できた。年に1度なので出来ればこの方式を続けてほしい。

 

無銘正宗 名物日向正宗 三井記念美術館

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ついに三井でも刀剣展が開催される。開館15周年記念展に国宝で唯一展示がなかった日向正宗が満を持して登場。三井記念美術品が誇る武具、国宝2点、重文7点がすべて公開されるスペシャル刀展となっている。

今回は入館に際して予約制を導入。刀剣女子たちへの対策だろうが、訪れた日は来館者は数名程度だった。ショッピング後など気軽に行ける美術館だっただけに予約制は足を鈍らせる結果となっていた。

美術展では同館が所有する三井家秘宝の刀たちが登場。江戸時代から商人であるため、武家のように必需品として大量に持っていることはなく、あくまでも伝来したものを陳列していた。そのため、数はそれほど多くなかった。しかし、刀関連の鞘などの工芸は超一級品で、これぞ贅の極みといえる豪華なものだった。

 国宝は日向正宗と徳善院貞宗で、ともに短刀。徳善院貞宗は15周年記念展でも公開済みで、再開する形であった。刀身の彫り物がとれも美しく梵字も綺麗に仕上がっていた。正宗は最も有名な日本刀工の一人で、その名声から贋作も多い。日向正宗は豊臣秀吉石田三成へ下賜、光成が大垣城主の福原右馬介直高へ与えた。関ケ原の合戦で敗軍となり水野日向守勝成が分捕ったことから日向の冠が課されるようになった。その後、紀州徳川家の所有となり、明治維新後も保有。1927年に競売に出され、2,678円(現在の貨幣価値で160万円ぐらい)で三井男爵家が落札して現在に至っている。

短刀・日向正宗は直線で反りがない。刃紋は大きめで穏やかな曲線が続くことから、日本海の大海原を想像させる。同刀がキービジュアルなっているように、直線で凛としている刀身と対極的に曲線が中心の刃紋のコントラストが絶妙で、絵になる刀である。

この展示会では刀以外に茶器や雛飾り、能面なども展示されており、丸まる刀剣展とは違う武将の美も堪能できる。

蓮池水禽図 俵屋宗達筆

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ブリヂストン美術館が建物も新たにアーティゾン美術館へと生まれ変わった。コロナ禍でなかなか行けなかったが、俵屋宗達の国宝・蓮池水禽図が出品されるということで、「琳派印象派」を観に行った。

石橋財団のコレクションの中心は西洋美術画で、ルノアールの「すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢」やモネの「睡蓮の池」など名画が揃っている。コレクションには日本画・東洋画もあり、国宝の禅機図断簡(丹霞焼仏図)因陀羅筆を所有している。

今回の琳派展は印象派琳派の作品の親和性をテーマに、両派を同じ空間で観る演出がされていた。展示会のメインビジュアルにもなっている俵屋宗達風神雷神図屏風が後期の展示で、前期の2週間のみ蓮池水禽図が陳列されていた。

宗達の国宝三点で水墨画は同作だけ。彩色の作品が目立つ宗達においてモノクロ作品が蓮池水禽図。白黒しかない世界でもリアルを描き、縮尺はともかく大陸から影響を受けた山水画の流れとは違う琳派=現実以上の現実を描きだしていた。蓮といえばモネだが、こちらの蓮は仏教の残り香がする描き方。水鳥にしても西洋の無機質的な描き方と違って生命へのオマージュが感じる。

その他、琳派の各名品が陳列されていたが、その中でも尾形光琳の竹虎図は京都国立博物館のマスコットのトラりんのモデルで、初めて見た感想は茶室用の案外小さな作品であった。光琳作の李白観瀑図と同じ空間で並んで展示されていたが、目の描き方がうまいため、間の抜けた顔になっていた。名画家でも得意不得意はあるようだ。

印象派とのコラボはともに、写実を超える描き方を模索した究極系で、日欧の地域差が明確に分かる。発想が飛んでしまったシュールレアリズムが現れるまでの超現実の競演は見ていて頭を使わず楽しめた。なお、蓮池水禽図は京博の年末年始の企画展にも登場する。

 

 

弥勒菩薩半跏思惟像 広隆寺

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11月22日、広隆寺では毎年、聖徳太子御火焚祭が開催される。聖徳太子の月命日である同日の午後1時から本堂で法要があり、その後、護摩供養が行われ数万本の護摩木が焚き上げられる。そして本堂も開けられ、聖徳太子33歳像が拝むことができる。

しかし、今年はコロナの影響で供養は内内で開催。そのため、本堂の聖徳太子像の公開はなかった。しかし、霊宝館の秘仏薬師如来は特別公開されていた。十二神将の中心に置かれた厨子内にあり、この日だけ開かれる。秘仏ゆえに貴重な拝観機会ではあるが、常時観ることができる十二神将が国宝で、薬師如来が重文なので、つい十二神将の方に目が移るのは国宝好きの性である。

広隆寺といえば国宝彫刻第1号の弥勒菩薩半跏思惟像。右手の中指を頬にあてて物思いにふける姿は傑作。国宝切手シリーズに選ばれたことから人気に火がついた。なお、よく彫刻第1号と言われるが、指定された順番ではなく台帳に記載された通し番号がたまたま1号だったことを指しており、一番素晴らしく彫刻の頂点という意味ではない。いわゆるスポーツ選手の背番号のようなものだ。

さて、広隆寺を訪れた真の狙いは桂宮院本堂がどうなっているか。結論としてまだ公開されていない。いつになったら公開されるのか気長に待ちたい。

【源氏物語】源氏物語絵巻 橋姫

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五島美術館での源氏物語展が延期になったことから、徳川美術館では「読み継がれた源氏物語」で橋姫を公開。五島の紫式部日記絵巻とともに夢の競演を果たした。

徳川美術館の展示で大々的にPRしていたのは絵巻物よりも初音の調度の修理後初公開だった。三代将軍徳川家光の長女・千姫尾張に嫁いだ時の調度品で、天下泰平となったことで日光東照宮に見られる煌びやかな寛永文化の象徴的な逸品である。絢爛豪華を体現している調度品は、尾張家の家宝として大切に保管され続けたが、400年の歳月が経年劣化を生み修理が必要となった。文化財保護の補助金を活用して修繕した嫁入り道具たちは新婦となって帰って来たみたいで、源氏物語絵巻の歴史的重厚感と比べると初々しさすら感じる。

さて、すべてを見終えて出口へ向かう途中で思わぬサプライズ告知があった。来年の秋に徳川美術館が所有する源氏物語絵巻をすべて公開する大展示会が企画されているようだ。修理をすべて終えての初公開なので、ぜひ行きたい特別展だ。

【平安の書画】源氏物語絵巻 五島美術館

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根津美術館の庭園も素晴らしいが、五島美術館の庭園も見る価値がある。多摩川流域の縁に造られた日本庭園は勾配がきつく、根津のような平面的な庭園とは趣が全く違う。庭園を構成する木々はツツジ、枝垂桜など、季節ごとに花を咲かせるが、上から下からと立体的に見ることができる。ハイキングが如く昇り降りすると石仏が点在しており、それらを探すのも楽しみのひとつ。茶室も2つあり、急成長した東急グループらしい東武に対抗心むき出しの庭園となっている。

五島美術館の隣には創業家の五島家の家がある。普通なら根津のように都心の一等地に造りそうなものだが、阪急グループ創業の小林一三の薫陶を受けた慶太ならではの戦略がそうさせている。なにもなかった多摩地域発展のため、鉄道網を作り都市開発に全力を尽くした。人々の暮らしを豊かにするためエンターテイメントの施設として五島美術館はなくてはならないアイテムである。

その五島美術館は10年に1度、徳川美術館から借り受けた源氏物語絵巻を見せる一大展示会を開く。西暦でいうと0年が五島、5年が徳川の持ち回りで開催し、開館の周年記念として国宝の源氏物語絵巻を所有する両館だからこそできる企画展である。

しかし、今年はコロナの影響で五島美術館での源氏物語絵巻展は中止になった。大人気の企画展だけに、三密の危険性は高く断腸の思いでの中止だったのだろう。その代わりに五島美術館が所有する源氏物語を核として、平安の書画を集めた特別展を企画。同館が誇る、平安時代の書画を第1室で展示し、第2室には源氏物語絵巻を特別公開する気合の入れよう。同展示会にも多くの人が来場していた。

内容は装飾料紙に和歌を書写した「古筆」、貴族が愛好した雅な「絵巻」、優れた歌人の姿を描いた「歌仙絵」などで、もしこれ単独で見たのならば素晴らしいの一言だった。しかし、京博の皇室の名宝や佐竹三十六歌仙で同時代の名品ばかりを見てしまった、目が肥えてしまい、残念ながら感動が薄れてしまった。

しかし、源氏物語絵巻は別腹。現状保存と復元を並べた展示で1000年の歴史と1000年前の美しさを味わえる構成が心に響き、何度も往復して眺めてしまった。国宝の現物は劣化がひどくて常設展示はできないだろうが、復元されたほうだけでも常設展示してくれたら通い甲斐がある。

国宝拝観者たちの夢、千件越えをいつの間にか達成した。 毎年、国宝指定数が増えているので、容易にはなってきているものの、一つの目標が完結した。 次の1100件は果てしなく遠いので、1050件を一区切りにしよう。