国宝を観る

国の宝を観賞していくサイト

国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

木造弘法大師坐像 康勝作 東寺

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縁日は人々とご本尊との縁を結ぶ大切な日である。大きな寺院では縁日に市をたてて、お参りに来た参拝者たちの目を楽しませている。東寺の縁日は21日で、多くの露店が並ぶはずだが、コロナの影響で中止。露店がないので、少し寂しいかと思いきや、縁を求める多くの参拝者が来られていた。

東寺で縁を結びたい人と言えば、開祖・弘法大師高野山を開いたことで有名だが、新都であった平安京朱雀門を守護する東側の寺院を任された。西寺は現存しないの残念だが、東寺の伽藍を見ると当時の政権の力の入れようが分かる。

縁日(21日)にしか観ることができない国宝が木造弘法大師坐像である。この坐像を祀るためにできた国宝の御影堂(大師堂)に鎮座しているご本尊。坐像が納められている厨子が解放されているため、だれでも観ることができる。ただし、内陣までの距離やお供え物があるので美術品のようにじっくり間近で見ることはできない。それでも護摩法要の煤による黒光りははっきりと分かる。東寺では新しい平成12年に国宝指定物を受けたもので、国宝では新参者であるが、東寺にはなくてはならない坐像である。裏側に収められている絶対秘仏不動明王とともに東寺のど真ん中の仏宝である。

塵地螺鈿金銅装神輿 誉田八幡宮

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百舌鳥古市古墳群は昨年2019年にユネスコ世界文化遺産に認定された。知っているようで知らなかった大阪南部地域観光地で国宝もあるので訪問した。本来であれば認定から一年が経ち観光客、とくに海外からの訪日客でごった返していたであろうが、そこは日常以下の人のいない風景、ユネスコ効果は無風で観光効果はゼロのようだった。

古市古墳群の見学ルート内にある国宝は誉田八幡宮が所有する神輿と金具。国宝を観るには土曜日の午後に現地に行き、400円の拝観料を払って宝庫を開けてもらう。宝庫の中は真ん中に山車が置かれており、その周囲にお宝が展示されている。時計回りに見るように指示があり、その初っ端に金具、そして神輿が陳列されている。

応神天皇の陵墓に隣接する形で誉田八幡宮はあり、八幡信仰の強い源氏と縁深い。陵墓から見つかった金銅透彫鞍金具は朝鮮国内の出土品ににたようなものがあるが、それよりも装飾性が高いものだそうで、大陸文化の交流場であったことを示す。金具自体は3年前の国宝展でも拝見していたが貸し切り状態なので飽きるまでじっくり見つめることができた。

そして、神輿はご神体を乗せるためのもので、担ぎ手ようの棒を含めても軽自動車の大きさにも満たない。源頼朝が奉献したと伝わるだけあって、細部の細工紺細かく唐草文様の透かしや螺鈿細工など個々の部分部分の見ごたえがある。そして、なによりも神輿は建物類と同じくガラスがない直置き保存なので空気感まで伝わる。金工分類なのに建築類保存と中途半端に大きいために実現した国宝保存方法は必見である。

拝殿 桜井神社

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初乗り運賃が高いことで知られていた泉北高速鉄道南海電鉄傘下に入っても、なお運賃は高いものの、大阪市内へのアクセスが便利なおかげでベットタウンとして人気があることを背景に乗降客数はそこそこある。

泉が丘駅はベットタウンとして開発が進んだおかけで、高島屋や児童館など商業施設が充実しており、暮らしやすいを追求した街となっている。駅から歩くと30分ぐらいかかる桜井神社だが、駅前から団地群を脇目にしつつ、だんだんと一軒家に代わり、やがて田んぼが見え始めたところにある。国宝がなければ行くことがなかっただろう。

桜井神社の国宝は拝殿で、よくある本殿など一体で国宝となっているついでに指定を受けたものではない。また、歴史の教科書に必ず出てくる超有名神社でもないので、周りの環境はひっそりとしている。アクセスも悪いにもかかわらず、訪問日は休日であったこともあり、参拝者が数名来ていた。知る人ぞ知る穴場神社なのかもしれない。

拝殿は鎌倉時代の様式で作られており、拝殿遺構を残す数少ない実例であることから国宝となっている。しかし、見るからに派手さはなく、構造も単純。ベットタウン化される前までは田畑が広がる牧歌的な場所であったため、戦火などとも無縁だったことが想像できる。現在まで残ったのは地元の人々が大切に保存してきたためだろうから、地域の文化財と言われてもおかしくない。さしずめ、地域の人気者がいきなりトップアイドルになったがまだ地元から通っている、そんな国宝である。

御影堂 知恩院

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令和2年の春は国宝建築の修繕後の落成記念が2件あるはずだった。ひとつは薬師寺東塔。そして、ようやく真新しい建物が観れた知恩院御影堂。ともに大々的な落成法要が営まれるはずであったが、コロナのため見学は中止。華麗なる再オープンとはいかなかったが、長い歴史を持つ両建物にとってはそれもよい思い出なるかもしれない。

薬師寺あべのハルカス美術館で記念の展覧会も企画されていたが、数日だけで中止となり大変残念だった。知恩院は特別な企画はなかったが、近いうちに訪れようと思い、京都非公開文化財特別公開に合わせて行くことにした。

ところが、国宝の三門の公開は期間限定で訪れた時はまだ早く登ることができなかった。加えて、最近流行りのゲリラ豪雨に見舞われてゆっくりと外観を鑑賞する余裕はなかった。豪雨のため中でゆっくり休憩ことにしたので、すべてをやりかえた内陣の美しさを十二分に堪能した。金箔や黒漆をこれでもかと使いまくり、シックな中に豪華さを演出する、これぞ浄土系宗派の総本山と叫びたくなるぐらいの高揚感を醸し出していた。

知恩院を総本山とする浄土宗は徳川家の庇護を受けていたこともあり、江戸時代には多く寄進を受けていた。なので、至る所に葵の御紋があしらわれており、よく明治政府によってお取りつぶしにならなかったものだと思う。御影堂は法然上人をお祀りする場所で、阿弥陀さまが安置されているお堂より豪華な造りなのも不思議である。平等院鳳凰堂よりでかくて豪華な建物に藤原氏を祀るというのは想像しがたい。宗教観の違いを御影堂で思いめぐらすうちに、雨が止んだので退散した。

阿弥陀堂 法界寺

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法界寺の国宝は木造阿弥陀如来坐像とそれを安置している阿弥陀堂である。

定朝様式の立派な阿弥陀様は堂内でもさみしくないように、いろいろなところに彩色絵が描かれていた。800年前に建てられたものなので、かなり色あせてきているが、それでも色味などは分かった。柱には仏様、天蓋を釣っている天井の壁には天女が描かれいるが、立体曼荼羅よりは地味な構図だった。派手な密教美術を取り入れつつ、大衆の救済のため頑張って下さる阿弥陀様のための彩色は心安らぐ環境となっている。劣化が激しいので少なくとも現状だけでも維持してほしい。

さて、外観は檜皮葺きのピラミッド型の屋根、その下に裳階が付いている。雄大阿弥陀様にふさわしい造り。日野薬師と言われるので、薬師如来秘仏)を祀る薬師堂と浄土を表す池が阿弥陀様が見つめられる位置にあり、人々の救済のためのベストフォーメーションを形成した境内となっている。

 

木造阿弥陀如来坐像 法界寺

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京都市の南のはずれ、宇治へ行く途中にある六地蔵駅からバスで十数分。法界寺は親鸞聖人誕生の地として知られている日野にある。この地は日野家の領地で、鴨長明の住処に選んだ地であった。

日野家摂関政治により隆盛を極めた藤原北家の一族。その流れを受けて1051年、もと文章博士で後に出家した日野資業が、薬師如来を安置する堂を建てたのが法界寺の始まりである。末法思想を受けた平等院などの流れを汲んで、阿弥陀さまもお祀りしないと作られたのが、国宝の木造阿弥陀如来坐像である。定朝様式の典型的な仏像である。

阿弥陀如来はこれも国宝の堂内に安置されいるため、拝観料を支払わないと見ることができない。拝観料を払い中に入ると、大きな阿弥陀如来座像が鎮座している。平等院阿弥陀如来とは兄弟のような容姿で、法界寺の仏像は360度どこからでも見ることができる。また、観光地化されていない分、拝観者はほとんどいない。まるで法隆寺平等院なら、法界寺は法起寺ぐらいゆったりしている。光背の天女たちや、足元の蓮の花など、巨大ではあるが丁寧に作られている部分もじっくりとマイペースで見ることができるありがたいお寺である。

本殿 住吉大社

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住吉大社の国宝・本殿4棟は奇抜な配列である。4棟ある建物を配置する時、普通に考えると四角の角にそれぞれ配置する2×2形式か、直列に4つ並べるシンメトリー配列を想像してしまう。しかし、住吉大社のそれは違う。東西に直線状に3つを配置し、西の端の建物の南側にひとつを配置するⅬ字型に配置している。東から第一本宮、真ん中が第二本宮、西が第三本宮、ひとつ突き出した(Lの底辺を構成する)建物が第四本宮となっている。

住吉大社上町台地の南の端にあり、昔は大陸から瀬戸内海を航行して来た渡来船を出迎える場所だった。なので、本殿が見えやすい西側に多く配置しているのだろう。住吉から大和川を昇ると飛鳥へ行けることから、ここが最初の砦になる。また、大和川を超えた南側には古墳群があり、晴と穢の境目にある神社にもなっている。

コロナ禍の影響で参拝者はほとんどおらず、露店は暇そうにしていた。人気の石のうさぎは触られないようにぐるぐる巻きにされていたり、御朱印は書置きのみになっていた。感染対策で制限されることがあるが、国宝の本殿見学は自由なのはありがたい。

国宝拝観者たちの夢、千件越えをいつの間にか達成した。 毎年、国宝指定数が増えているので、容易にはなってきているものの、一つの目標が完結した。 次の1100件は果てしなく遠いので、1050件を一区切りにしよう。