国宝を観る

国の宝を観賞していくサイト

国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

慧可断臂図 齊年寺蔵

岡山出身の画家の展示会が2021年2月10日(水曜日)から3月14日(日曜日)に開かれる予定だ。

それだけなら普段でもありそうな展示会。だが、その画家は雪舟と浦上玉堂。「雪舟と玉堂―ふたりの里帰り」として岡山県立美術館で開催予定だ。玉堂の凍雲篩雪図と雪舟の慧可断臂図の国宝絵画が出品予定で、両作ともそこそこ展示会でお目見えするので、レア作品ではないが、意外な組み合わせが興味が沸く。

そもそも両名が岡山出身だとは全く知らなかった。この接点のなさそうな二人のコンビネーション展示はどのようなものになるか想像できない。岡山だからできる特別展。見ておきたい。

 

okayama-kenbi.info

肥前国風土記

香川県ミュージアム文化財保護法70年の記念事業の一環で、肥前国風土記の展示が行われた。個人蔵の国宝で、滅多に展示されることがないが、コロナの影響で8日間の展示となった。

常設室1に入った正面に展示していた。肥前の文字が書かれた最初のページを開いていた。ほとんど人は来ておらず、ゆったりとした環境で見ることができた。

同じ展示室には高松藩家老・木村黙老とその時代の作品が展示されていた。平賀源内の肖像画を描いたことで知られる木村は、滝川馬琴とも交流があるなど文化人として名をはせた。

文化水準が高い高松藩において、そのレベルが分かる作品が衆鱗図と衆禽画譜である。写実的にかつち密に描かれた魚と鳥が図録のように多数収録されている。それぞれの彩色まで忠実に再現されているだけでなく、立体的な表面仕上げのものもある。特徴として、描かれたモデルたちは1枚1枚切り抜きを台紙に張って図譜化しているので、対象物が浮き出て見える。日本画でも美しい模写は数多くあり、有名画家のものだと本物を超える美しさを味わえるものもある。高松藩のものはあくまでも学術的な観点から作られてはいるが美しいものであるには変わりない。風土記とともに観ることができて満足だった。

琉球国王尚家関係資料

南国らしい華やかな色合いと細かな細工が特徴の琉球細工。中国大陸と日本との間で、それぞれのよい文化を貿易の中継地点として取り込み醸成した傑作である。

それらを生み出せたのは琉球が王国として独立していたことも一因となっている。最高級の琉球文化は王家である尚一族の身の回り品として使用されてきた。痛ましい戦争によって沖縄の文化財はことごとく焦土の藻屑となった。

文化財がなぜ残っているかというと、琉球王家は明治維新後、華族として東京に強制移住させられた。その時に一緒に東京へ持ち込まれたため残っている。

琉球王家の末裔・尚裕は、先祖代々受け継いだ家宝を大切に保管。戦後は一個人として大切に管理してきたが、多くの経費が掛かるため断念。寄贈するにあたり、保管環境が整った台東区へと考えたが、沖縄県民から反発を受けて1996年那覇市への寄贈となった。

その後、国宝指定となり沖縄の宝となった。首里城の火災からもうすぐ1年。改めて文化財を大切に保管・管理することの重要性を感じるとともに、あるべき場所で見ることができる喜びを味わいたい。

www.rekishi-archive.city.naha.okinawa.jp

刀 金象嵌銘長谷部国重本阿花押 黒田筑前守(名物へし切) 福岡市博物館

 福岡市博物館は常設で国宝の金印を展示していることでおなじみ。そして、旧福岡藩主・黒田家伝来の家宝なども少しずつではあるが展示されている。

黒田家伝来の品で国宝の日本刀がある。名物へし切長谷部織田信長から豊臣秀吉、黒田家へと下賜された由緒ある名刀。

命名は信長が所有しているときに棚に隠れた人を棚もろとも成敗したことに由来する。それだけ大切れ物で、誉高い武家の道具として大切に保管され、現代に伝わった。

新春に公開されることが多く、刀剣女子たちがこの刀を見たさに遠方からも訪れている。

museum.city.fukuoka.jp

伊予国奈良原山経塚出土品

愛媛県には四国では最多の12件の国宝がある。そのうち、8件は大山祇神社が所有し、3件は松山市内の寺社建築となっている。それらは常設で見学が比較的容易であるが、奈良原山経塚で見つかった国宝はこのところ春秋の限定公開のみとなっている。

遺跡から見つかったものは今治市中心部から少し山へ向かった玉川近代美術館で保管されている。近代美術館というだけあって近代の西洋画や彫刻、日本画などを中心に展示会が催されている。国宝は場違いなぐらい関連性がなく浮いた展示で、館内で隔離された一室で公開される。今治市に合併された旧玉川町の至宝であるため、あまり他の展示会でお目にかかれないので、時期を見て訪問が必要な国宝である。

 

www.city.imabari.ehime.jp

豊楽寺 薬師堂

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三密は仏教用語密教の三業の総称で、手に印を結ぶ身密、口に真言を唱える口密、心に本尊を観念する意密からなる。護摩を焚いて疫病退散を願うのならば三密をもって祈念しなければならない。一方で、現代の三密はというと、密室、密集、密接を避けること。ならば四国の真ん中にある国宝建築は打って付けの場所となっている。

豊楽寺は高知県でも東の端、かずら橋で有名な大歩危小歩危につながる道の脇へ入った山奥にある。もともと幹線道路も山並みを望み人の気配はないが、豊楽寺のある山道はぽつんと一軒家で出ても来てもおかしくない山中への一本道となっている。

山頂に近づくとバス停とともに駐車場が現れる。そこの正面には新しく建てたであろう社務所がある。それを横目に見つつ少し奥に入ると眼下に薬師堂のかやぶき屋根が現れる。山肌を背にして薬師堂が建っているので、正面へは階段を降りなければならない。入母屋造りの屋根を堪能するにはベストな寺院で、国宝建築で一番最初に屋根が現れるところはここぐらいかもしれない。

豊楽寺薬師堂は1151年に建立された四国で一番古い建築物である。寺いわく三大薬師堂の一つで、ほかは愛知の鳳来寺、福島の常福寺だ。知名度・立地を含めてコンプリートした人はどれくらいいるのだろうか。

さて、中に入ることはできなかったが、お堂を正面から観ると山を削って建てているためか周りからの圧迫感がある。歴史ある寺だが、もともと人里離れた場所にあって、山を登った先にあるので三密になるはずもなく、密教的な三密をもって願掛けを行った。国宝巡りは地方巡礼なら人との距離を取りやすく(そもそも豊楽寺では人と会わなかった)、未見の国宝を中心に回っていきたい。

桜ヶ丘銅鐸・銅戈群 神戸市立博物館

港町・神戸には洋風建築物がよく似合う。

明治初期に外国人居留地となった神戸は明治から大正にかけて港が見渡せる山際に多くの住居が出来た。その名残がある北野・異人館はおしゃれな洋風住宅が建ち並び、異国情緒を味わえる観光名所となっている。

市の中心街はビジネス街となってしまったが、そこにも洋風建築が多く点在している。神戸市立博物館もその一つで、もともと昭和10年横浜正金銀行神戸支店として作られた。正金銀行は戦前の外国為替業務を一手に引き受けていた銀行で貿易に欠かせない銀行だった。なので、かなり立派な建物となっている。

昭和57年に博物館として開館。昨年のリニューアル工事を経て、久々の再開となった。国宝は銅鐸や銅戈。人や動物のような略図が鋳造されており、文字以前の表現として貴重な資料となっている。国宝指定を受けた数が多いので常設展示場に行けばたいてい国宝に出会える。

kobecitymuseum.jp

国宝拝観者たちの夢、千件越えをいつの間にか達成した。 毎年、国宝指定数が増えているので、容易にはなってきているものの、一つの目標が完結した。 次の1100件は果てしなく遠いので、1050件を一区切りにしよう。