国宝を観る

国の宝を観賞していくサイト

国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

古今和歌集 巻第廿(高野切本) 高知県立高知城歴史博物館

土佐の高知は坂本龍馬で有名だが、古典で土佐と言えば土佐日記紀貫之が土佐から京へ帰る道中を綴ったもの。国宝となっている2点は前田家伝来のものと、大阪青山歴史文学博物館が所有するものである。

では、高知の国宝はと言うと、山内家伝来の古今和歌集である。高野切本は巻物としての完本が3巻あり、その巻第廿を山内家に伝来し、高知県が買い受けた。

この古今和歌集は年始に公開されることが多く、東博の松林図屏風(長谷川等伯作)のような扱いとなっている。

 

 

www.kochi-johaku.jp

赤糸威鎧 白糸威褄取鎧 櫛引八幡宮

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ここ3カ月、国宝との出会いのない日々を過ごしていた。緊急事態宣言を受けて県をまたいだ移動自粛となってからはネットサーフィンの一択だった。

ようやく国宝見物の春が到来した。都心部ではまだまだ自粛ムードは拭えない。こんな時こそ「たまに行くなら地方の国宝」見物だ。

本土最北の国宝は八戸にある。小さな町ではあるが国宝3点を見ることができる。ひつつは土偶(合掌土偶)で、あとの2つは櫛引八幡宮に保管されている鎧2点となっている。国宝の鎧は全部で18点(甲冑の部類で籠手(春日大社所蔵)単独が1点あり、それを含むと計19点)。うち鎧を複数個所有しているのが春日大社厳島神社大山祇神社(すべて4点ずつが指定)とここだけである。なので、それほど多くの場所に国宝鎧があるわけではない。しかし、鎧が常設されていないところや非公開のものもあり、コンプリートがなかなか難しい。

櫛引八幡宮の鎧は現地に行けば国宝館に展示されているので比較的見るのは容易である。受付を済ませてすぐの部屋が展示場で、真正面に国宝2点が並び、ガラス張りの両サイドに神社の奉納品や関連の品が並べられている。国宝の鎧は独立したショーケース内で展示されているおかげですべての角度から観ることができる。甲冑の金工は数々の甲冑を観てきたがかなり凝った美しいもので、赤糸威鎧が春日大社のものと双璧をなすと言われるのも納得がいく。ほぼこの2点の鎧を観に行くだけの旅となっても満足がいく鑑賞物である。

 

藤原佐理筆詩懐紙 香川県立ミュージアム

香川県は有名な宗教家を輩出してきた。醍醐寺の開祖で修験道を復活させた理源大師。琵琶湖のほとりにある円城寺を総本山とする天台宗寺門派の祖・円珍。そして、平安時代初期に現れた2大宗教スターのひとりで、高野山を開山した空海だ(もう一人は最澄)。讃岐地域から綺羅星の如く思想家が誕生した。瀬戸内海に面しており、畿内へ抜ける最終地点となる讃岐は物流とともに様々な情報・考え方が集まったのだろう。

そんな讃岐には県の歴史を紹介する香川県ミュージアム高松城跡である玉藻公園に隣接しており、駅からは公園を超えた場所となる。2008(平成20)年に文化会館・歴史資料館・歴史博物館を統合・再編して建てられた。ミュージアムのあるフロアーも含め、非常に綺麗な建物となっている。保有の国宝は三跡のひとりである藤原佐理筆の詩懐紙で、平安時代のものは現存する唯一の物である。そのためもあってか、本物をあまり展示されることがない。国宝では常設として空海関連のものの複製品が数多く展示されている。生まれ故郷に錦を飾るため、気前よく複製してもらった結果なのだろう。これらを見ると本物を観たくなる。

www.pref.kagawa.lg.jp

東寺百合文書 京都府立京都学・歴彩館

東寺百合文書は1967年に京都府が東寺(教王護国寺)から購入したもの。元々は江戸時代初期に加賀藩が百個の桐箱の保存容器と文書を東寺へ寄附したことが始まりだ。

箱には8世紀から18世紀に書かれた約2万5千通が入っている。東寺は寄附を受けて以降も収集を続けた。書の収集目的が学問や研究のために増えたようだ。

社会的な変化により証文(荘園などの権利関係など)は本来の目的として全く役には立たず、廃棄される恐れがあるが、それを収集・保存することで本来の目的ではない、歴史的な研究・学問に用いることで新たな発見に役立てている。公文書の大切さが改めて叫ばれているが、未来のために残すべきものはきっちりと入れ物を作って大切に活用してほしい。

www.pref.kyoto.jp

風俗図 彦根市

彦根藩は戦国武将の中で屈指の猛者と言われる井伊直政が初代である。徳川四天王の中で一番若かく、最年長の酒井忠次とは30歳以上の年の差があった。

徳川家康三方ヶ原の戦い武田信玄に完膚なきまでに敗北した。のちに武田勝頼の代になり、織田信長の軍勢と共に武田家を滅亡させるのだが、武田信玄が赤色で統一して攻めてきた印象が残っていたことから、井伊家に武田の旧軍勢と共に引き継ぎ、家康の天下統一に貢献した。

井伊家で直政よりも有名なのが直弼。井伊家13代当主で、大老としてアメリカと外交で対峙したが、桜田門外で反対派に殺害された。

そんな赤備えなど井伊家の名品が見られるのが彦根城博物館である。名城の誉れ高い彦根城とともに訪れておきたい。たまに国宝の風俗図も展示される。普段は複製品なので、ホームページなどで確認が必要だ。

hikone-castle-museum.jp

催馬楽譜 徴古館

佐賀県唯一の国宝・催馬楽譜が徴古館で5/25-7/25まで公開される。

薩長土肥として明治維新の勝者であるはずの佐賀藩肥前ではあるが、存在感が薄い。鍋島家の西洋技術の取り込み速度は江戸末期では群を抜いていた。明治維新でもその成果はいかんなく発揮されて、維新側の勝利に大きく貢献した。しかし、明治政府を構成するメンバーは薩長に占められたことで肥前へスポットが当たらなくなった。

国宝は1件の佐賀だが、温泉が多く旅行にはぴったりの土地である。世間的にはまだまだ自粛ムードではあるが、GO Toキャンペーンが本格化した暁にはぜひとも訪れたい場所である。

www.nabeshima.or.jp

土偶 長野県棚畑遺跡出土(縄文のビーナス) 土偶 長野県中ツ原遺跡出土(仮面の女神)

縄文のビーナス仮面の女神は長野県茅野市にある尖石縄文考古館で保管されている。ともに個性的な顔をしているが、体つきはでっぷりとして肉付きの良いまん丸としたものになっている。下半身がどっしりとしており、お相撲さんの人形のようにも見える。

縄文時代の遺跡から発見されたもので最初に国宝指定となったのが縄文のビーナス。顔はハリネズミ用に鋭く鼻も尖っている。胸に乳首らしきものがあり、腹と尻が出っ張っている。最初の国宝なのでビーナスと名付けたのだろうが、美しさはあまり感じない。

仮面の女神は逆三角形の仮面を被っている。顎が退化した現代人の顔が逆三角形になっていることを予想して作ったとは思わないが、なにか参考になる人がいたのだろう。こちらは膨らんだお腹の中心にぽっちがあり、腹と足ともにかなり太い。

駅からかなり距離のある尖石縄文考古館八ヶ岳の登山を楽しむ人にもおすすめの立地にある。信州で避暑するために寄りたい場所の一つである。

www.city.chino.lg.jp

国宝拝観者たちの夢、千件越えをいつの間にか達成した。 毎年、国宝指定数が増えているので、容易にはなってきているものの、一つの目標が完結した。 次の1100件は果てしなく遠いので、1050件を一区切りにしよう。