国宝とのかかわりという意味では少し遠く感じた作品であった。
現場で見た時は題名の通りライオンと村上隆の作り上げたキャラクターが並ぶ作品だとしか思えなかった。ところが帰って画面上で写真に撮ったライオンをじっくりと見ると獅子に見えた。背中に乗せている球体が鞠で、唐獅子へと想像を膨らませていたのだ。まさかの狩野永徳の唐獅子図屏風からの発想?に見えてきた。
歩き疲れた親獅子が休憩している間、子供の唐獅子が無邪気に遊ぶ。永徳の作品のその後を描いた。絵柄としては後ろ足のあたりの模様は永徳の作品にそっくり。そう言えば、唐獅子に手毬は中国古来の求婚の風習からきているそうで、題材としてよく使われている。その一方で、唐獅子と牡丹が定番なのに村上隆風の花で仕上げている。そこがカモフラージュして唐獅子と見抜けずにいた。この作品は熱心なコレクターのオーダーに応えることで生まれたそうで、桜の花なのはそのせいかもしれない。
現代アートとして売っていくには全体がファンシーな雰囲気が好まれる。そにに古典的教養を平面画でつなげるには最適解になっている。隠れミッキーならぬ隠れ唐獅子(ど真ん中にいる)だったとは、現場で気づくべきだった。
takashimurakami-kyoto.exhibit.jp
桜も散り始めたが、京都市京セラ美術館ではまだ満開。
これって時期によって変化?するとすれば、図録もまだ販売されていなかったのでまた見に行きたい。