墨書は紙に書かれるため、保管方法によってはぼろぼろになる可能性がある。崩れいく紙に対しては裏打ちなどして補修することで文化財として保管に耐えうるようにする。本能寺切はかなり傷みが激しいが補修でなんとか耐えていた。虫食い状態の文字もあるが判別できないレベルではない。
本能寺切は三跡の藤原行成が書いたとされ、菅原道真や小野篁、紀長谷雄らの漢文を和様の書法で書いている。一画一画が流れるように筆を走らせ一文字を形成している。それらが独立するのではなく、漢文として全体が仕上がっている。平安時代に生まれた、仮名文化が漢字文化へも派生したような書き方で、世尊寺流という流派を生むまでになった。世尊寺流は藤原行成から17代目の世尊寺行季没の1532年をもって、断絶した。本能寺の変が起きるちょうど50年前で、同寺院が所有しているのも何かの縁だろう。