国宝を観る

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国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

唐門 大徳寺

久々にとても良い特別公開に出会した。

方丈が解体修理の最中の大徳寺の特別公開は2000円だった。誰でも参加できる京都で開催される特別展の中では少し高めの拝観料だった。予約がなく京都駅から遠いため、二の足を踏む設定だったが、三門をくぐれる機会はそうないと行くことにした。

打ち出しでは、三門をくぐり、初めて一般人が入れる仏殿(見ることは普段から可能)、特別の時に公開される法堂、そして国宝の唐門を見るとお品書きがあった。法堂は庫裡と方丈公開と合わせて行われることが多く、本ルートでの一般公開は初めて見た。

個人は予約できないので、受付で尋ねると40分待ちの回になった。その間、大徳寺塔頭を回ることにする。時間はあっという間に過ぎて、集合の場所に集まりツアーに参加する。

まず、勅使門をじっくり見る。これは外からでも近くで見ることができるが、反対側は初めて見た。後水尾天皇の時代、御所の南大門を移築したことを初めて知り、シックなのに豪華な理由が分かった。

三門は日本史の1ページを飾る建物である。堺の商人によって作られた門で、偉いさんしか潜ることができない。応仁の乱で荒廃した伽藍の中で、門の1階部分が一休宗純の時代から建てられ始め、ちょうど2階部分は千利休の時代にできた。この門を時の権力者であった豊臣秀吉が通った際に、クレームがつけられた。なんでも門の2階部分に千利休の像があったことを知り、不敬となった。なぜ知ったか分からないが、利休はこれを持って切腹を命じられた。そもそも象は門の西側に安置されていたようで、潜った場所からは外れていたみたいで、いちゃもんに近い。なので、切腹の理由としては千利休が茶道具の売買(一国と同等の価値にまで跳ね上がっていた)の実権を握りつつあったことに、秀吉が危惧した説がある。また、解説では門の中の龍の天井絵を長谷川等伯に描かせたとのことで、それ以外の天井絵が狩野派の作品であったことから、圧力が掛かった可能性がある。志し半ばで切腹があったこともあり、茶聖へと神格化された千利休。そのまま生き続けたら現在の信仰はどうなったか、歴史のIFを想像しながら三門をゆっくりと進んだ。

仏殿は普段から外から見ることができる。冬場に訪れた解体修理現場見学会では仏殿の周りにも足場が組まれていた。この機会に修繕していたのだろうが、今回の訪問時は足場が解体されつつあった。外から見ても分かるが、釈迦如来が鎮座し、天井画は天女である。天女は狩野元信作だそうだが、普段から開けっぴろげであるため、色褪せて雰囲気しか分からない。

法堂は以前に入ったことがある。こちらの天井画は狩野探幽だそうで、妙心寺の天井龍を描く約20年も前の作品だそう。鳴き龍なので、目玉の真下が音の響くベストポジションで、各々がパチパチと手を叩いていた。

これまでの道中は禅宗寺院特有のシンプルな構造建築で、派手さもなく見るべきものが非常に単純であった。最後に国宝の唐門を見ることができた。これが結構、サプライズだった。

唐門は普段は立ち入り禁止の場所にあり、見ることが難しい位置にある。方丈の解体修理では屋根部分が見えたが全体を見ることは叶わなかった。今回は正面からじっくり見ることができたばかりか、文化財保護のための柵すら開放していた。

その前に唐門について、元々は聚楽第の遺構で、明治時代に明智門があった今の場所に移建された。唐門は彫刻の素晴らしさから見ていていつまでも飽きず、朝から日暮まで見ていられる。日光東照宮の日暮門はこの門を参考に作られたとも言われる。また、西本願寺の唐門にも通じる美しさがある。

特別に良かったことは、柵を越えて門の真下で見ることができた点だ。真下に行くと欄干部分の孔雀が立体感を重視した組み材でできていたことが見えたり、柱の奥の彫刻に鯉や仙人など見にくい部分もはっきり見ることができた。そして、ここだけ写真撮影がOKであったこともありがたい。方丈の修繕工事も写真OKだったが、唐門の撮影は映え度が半端ない。この機会を逃すと二度とないかも知れないので、ぜひ訪れたいイベントである。大徳寺の大公開の度合いから、来年か再来年に大徳寺展が東博(プラス京博ぐらい)で企画されているはずで、見逃せない展示会になりそうだ。

国宝拝観者たちの夢、それは千件越え。 毎年、国宝指定数が増えているので、容易にはなってきているものの、一つの目標である。 900件を超えた辺りから新規の拝見ペースが落ちているが、果たしていつ達成なるか。