国宝の十一面観音立像の彫刻は7体指定されている。どれも美しく、見ごたえがある像となっている。聖林寺の十一面観世音菩薩立像の特別公開が東京に続き、奈良も閉幕した。360度、すべての角度から観ることがでるのはこの機会のみで、聖林寺の安住の地へと戻られた。この感動を引きずりつつ、京田辺の観音寺へと行く。
観音寺は同志社大学京田辺キャンパスの外れにある。昔は田畑、山林だった場所に大学が作られ、学生の声が響く。寺までは最寄り駅の同志社前駅から歩いていけるのだが、大学のキャンパスが広いことを失念しており、起伏のある道を30分程度かかって到着した。
この時期の訪問は前々から考えていたプラン。寺の前が菜の花畑で一面黄色に染まる。そして、その周りには桜の木が植えられており、そのコントラストが見事だと雑誌に書かれていたためだ。訪問時は菜の花は満開で、写真撮影や写生に来ていた人がちらほら。桜の開花は済んでいたが、満開までもうしばらくかかりそうだったため、近所の人が来ていたのだろう。
さて、お目当ては十一面観音立像。入り口の民家が受付で、住職が暮らしている。当日は急用で住職は不在だったが、丁寧に対応してくれた。本堂内にある厨子内に十一面観世音菩薩が鎮座している。乾漆像で聖林寺のそれと同じ系統だそう。観音寺の方が小振りに見えるのは厨子に入っているせいだそう。寺院によっては厨子の背面に鏡を付けて後ろも見られるようにしているが、新国宝指定の初期のメンバーである立像はあくまでも信仰の対象となっている。顔のあたりが少しひび割れていたが、全体はしっかりとしていて、衣のひだひだ感は聖林寺の立像と似ている。
檀家がある寺院ではないため、明治から戦前までは大変苦労されたそう。にも関わらず、不動明王や十二神将など年代物の仏像が厨子の後ろに多く控えていた。貧した寺社が仏像を売りに出すことが多くあったが、同寺院でよく護られた。観光化された寺院ではなく、質素な趣がにじみ出るなか、春の花々が素晴らしい演出をする。春の時期に行くべき寺院だ。