国宝を観る

国の宝を観賞していくサイト

国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

【東博150年】鷹見泉石像 渡辺華山筆

待ちに待った東京国立博物館150周年記念展示会「国宝 東京国立博物館のすべて」が開幕。テンションマックスにて馳せ参じた。その陰でデジカメの設定確認を忘れてブレブレの写真となった。

入場は時間予約制なのだが、入る時間の指定だけなので昼前の入場だと展示会場は人でごった返していた。ただ、コロナ前のように身動きが取れないことはなく、人気の展示品でもしばらく待つと見ることが出来た。特に列ができるのが音声ガイドがある作品。展示位置が導線の初っ端にガイドがあると根詰まりして人溜まりが出来ていた。時間のロスになるので、他の作品を見つつ、空いた時間を見計らって鑑賞した。

入り口最初に陳列していたのが長谷川等伯の松林図屏風。東博の正月の顔。大きな作品でシンプルな構成。これから始まる東博国宝ワールドに迷い込むには持って来いの作品だ。

迷い込んだ最初の部屋で一番人が多く集まっていたのが渡辺華山筆の鷹見泉石像だった。国宝の中でも異色の作品で、和洋の描画技術を合わせて出来上がった肖像画である。孔雀明王像や虚空蔵菩薩像が描かれた軸が対面にあったが、絢爛豪華さや緻密さでは仏画の方が圧倒的に上。しかし、実像に忠実なのは渡辺華山の作品だろう(そもそも仏像にリアルはない)。血色まで伝わる描き方を江戸時代末期に習得していたのは歴史的な価値がある。惜しむらくは鷹見泉石は知る人ぞ知る人物なこと。肖像画界は知名度が人気のバロメーターになるので、この展示会でブレイクしてほしい国宝だ。

【茶の湯】大井戸茶碗 銘喜左衛門 孤蓬庵

メインビジュアルにもなっている茶碗、銘喜左衛門・大井戸茶碗は大徳寺塔頭寺院である孤蓬庵が所蔵している。ちょうどこの数カ月前に特別公開をしていたので訪れたばかり。その時にはさすがに茶碗は見ることができなかった。

孤蓬庵は小堀遠州が自身のために建立した菩提寺で、重要文化財の茶室「忘筌」が有名である。各部屋から見える庭の風景は、それほど広くないはずの庭園を見せ方の工夫だけでまるで別物になる設計で庭師の秀逸作。とくに忘筌では障子を上部分のみ残し、開いた下部からちらりと庭園を覗かせる。ちらりと見せることで次の部屋で見る庭園風景への期待感を高めている。また、空いた下の部分は実用的に光りが差して床に日差しが落ちる仕組みとなっている。落ちた光は磨かれた床で乱反射して天井へ。天井も光が反射しやすく白っぽく加工しているので、全体に自然光がまん延するように造られている。電灯のない時代、工夫を凝らした明り取りである。この他にも国宝・龍光院の書院とほぼ同じ構図の茶室がある。龍光院に入った人が少しだけ違うと語っていた。庭園・建物を熟知した小堀遠州ならではの遊び心ある出来となっている。

そんな孤蓬庵が所蔵しているのが大井戸茶碗である。朝鮮半島で焼かれた井戸茶碗。その中でも大ぶりの作品である。白磁青磁のような高級な陶磁器ではなく、庶民が使う茶碗なのだが、「侘び」茶に合う風合いから茶人に愛される品となった。

竹田喜左衛門が所有していたことから銘が取られているが、喜左衛門以下、松平不昧、その長男と所有者が変わるたびに、その主が腫物に悩まされることなり、孤蓬庵に渡ることとなった。庶民が使う家具が茶道的視点で見れば国宝となる。侘びの心髄が分からないので、どうしても白磁青磁、楽焼のようなユニークさに目移りしてしまう。だが今回の展示会のように、目移りする作品が多い中にあっては、逆に大井戸茶碗の普通さが際立つ。周りを一級品で囲まれた環境でないで分からなかった境地だ。この辺りが侘びなのかもしれない。

【東博150年】普賢菩薩像

本日、開幕する東博150周年記念展示会。東博の国宝89件が一挙公開される。昨年12月の発表から89件すべてについて書いてきたが、今回はそのフィナーレです。

普賢菩薩は白象に乗っているが、当時の日本の絵師は国内に存在しないので象を見たことがないはず。なので、想像上の生き物として描かれている。丸い目が特徴の象だが、目が切れ長なのは仏の使いとしての記号の役割だろう。同作品は平安仏画の中でも名品とされ、截金文様の技巧は精緻でじっくり見たい作品。仏像同様に和様化進んだ時期のものである。

レア★☆☆
観たい★★☆
コラボ★☆☆

公開期間:前期

emuseum.nich.go.jp

【茶の湯】虚堂智愚墨蹟 法語 

東博の150周年記念展示会とほぼ同時期に、京博では茶の湯展を開催している。千利休の生誕500年を祝う企画で、国宝・重文クラスがこれでもかと展示している。

茶の湯展の前期には150周年記念展を控えている東博所有の国宝が登場していた。虚堂智愚墨蹟の法語、圓悟克勤墨跡の印可状 (通称:流れ圓悟)、狩野秀頼筆の観楓図屏風が京都まで来ていた。いずれも、この後に東京へとんぼ返りとなり、150周年展の後期に登場する。

虚堂智愚は日本から来た僧たちに臨済宗を教えた。その教えが法語と呼ばれる。なので、虚堂智愚墨蹟は臨済宗の至宝となっている。一方で、流出した墨蹟はその貴重性、禅と茶の親和性によって、茶席の掛け軸としても重宝された。

松平不昧蔵であったこの法語は、武野紹鷗の愛玩品だった。この武野は千利休の師匠に当たる。来歴がしっかりとしていることに加えて、豪商の大文字屋が所蔵していた時に、使用人が蔵に立てこもり、この法語を切り裂いて自害したという逸話から、破れ虚堂という二つ名が誕生、その価値を高めた。虚堂が80歳前後の頃に書かれたものにしては力強く書かれている。日本で禅を広めるために、遥々大陸へと渡ってきた僧侶に対して、最大限の土産が現代に引き継がれている。しかし、まさか狭い茶室に飾られることになるとは、虚堂自身は想像もしていないかっただろう。

【東博150年】扇面法華経冊子

持ち運びが出来て、実用的、おまけに信心を表現できる。扇面法華経冊子は扇子状の紙に、法華経の一部と美しい日本画が描かれ、奉納されたものだ。巻物状の経典だと長々と写経があり絵は扉絵のみが多い。それが、扇面という限られたスペースにすることで絵画と写経を面上にうまくコラージュさせて美しさに信仰心を重ねて表現している。奉納品なので実際に持ち運んだり扇ぐことはほとんどなかっただろうが、発注者は大満足の作品だったに違いない。

レア★☆☆
観たい★☆☆
コラボ★☆☆

公開期間:後期

emuseum.nich.go.jp

短刀 銘来国俊 熱田神宮

JR東海道線名古屋駅金山駅周辺はビルが立ち並び都会に来たと感じるが、次の熱田駅に降りると下町感が漂う。熱田神宮の参拝客用に出来た駅だが、参道商店街には昭和が色濃く残っている。一方で、名鉄神宮前駅の駅ビルは取り壊し中。綺麗な施設が出来上がるまでは時間がかかりそう。

名古屋の中心からは少し南に外れる熱田神宮だが東海へと抜ける要所にあり、織田信長桶狭間の戦いの前に戦勝を祈願して見事に勝利を収めた歴史的な場所である。戦に勝った神社であり、それが織田信長の出世街道の起点となった事件であることから、多くの宝物が奉納されている。

多くの宝物を見せるため、熱田神宮境内に宝物館とは別に、草薙館という展示施設が2021年10月3日にオープンした。天皇を象徴する三種の神器のひとつ草薙の剣から名前を取った施設である。展示は刀剣が中心で、熱田神宮が所有する国宝刀も当然、そちらに展示されているものと思い込んでいた。新館へ行くその前に宝物館も覗いておくかと軽い気持ちで両館共通券を購入して、中入ると、いの一番に国宝の来国俊を展示していた。国宝は真新しい施設ではなく旧来からの施設に展示してあった。刀剣ブームが続いていることから、宝物館にも客寄せパンダの刀剣が必要なための措置かもしれない。もしかしたら、裏表両方から見える配置が出来る箇所で、もっともしっくり来たのが入り口近くだったのかもしれない。

さて、国宝の短刀の表面には作者名・来国俊、裏に制作年の正和五年十一月日が彫られている。これにより、来国俊が76歳のときに作った刀と分かるが、後期高齢者が作り上げた刀だと思うと、あっぱれと言いたくなる。職人の技量のピークがいつなのかは分野によって違いがあるものの、少なくとも刀鍛冶は機械化以前は鉄を鍛造しなければならず体力がある方がよいものを作れると想像する。健康食品の通販ではないが、この短刀を作った人はいくつにだったかという質問に70歳以上と答える人はほぼいないだろう。短刀の刃文は、真っ直ぐで乱れの無い直刃で見ていると清々しい気持ちになるぐらい乱れがない。来国俊作の国宝は来孫太郎作を含むと5振あり、この点でも高く評された刀鍛冶であることが分かる。草薙剣を祀る神社にある唯一の国宝刀に相応しい。

【東博150年】餓鬼草紙

六道の一部を切り取った草紙の餓鬼場面。京博と分ける形で所有している。東博ものは、裕福な貴族と飢えに苦しむ庶民の対比に、餓鬼が庶民に苦しみを与えていると表現している。苦しみは鬼の仕業で、流行り病の原因が分からない中世ではこれも鬼の仕業だとされた。鬼退治には仏の力が必要との論理に結び付ける絵巻物で、貴族たちへの説得材料となっている。のちに、仏教が庶民へと浸透する宗教改革が起こる前の貴重な作品である。

レア★☆☆
観たい★★☆

コラボ★☆☆

公開情報:後期

emuseum.nich.go.jp

国宝拝観者たちの夢、千件越えをいつの間にか達成した。 毎年、国宝指定数が増えているので、容易にはなってきているものの、一つの目標が完結した。 次の1100件は果てしなく遠いので、1050件を一区切りにしよう。