杏雨書屋が入る武田道修町ビルは元は武田薬品工業の本社ビルだった。武田薬品工業は1781年に道修町で薬種の仲買商を始めたが、1925年に武田長兵衞商店を設立して会社化した。その3年後の1928年に本社ビルとして現在の武田道修町ビルを完成させた。本社移転後、武田道修町ビルは2013年に耐震補強工事及び新館の建設した上で、大阪市淀川区十三本町の大阪工場にあった杏雨書屋を移転させて現在に至っている。
国宝の3点は東洋史学者の内藤湖南の旧蔵コレクション。内藤湖南はジャーナリストを経て、京都帝国大学の教授になった異色の博士で、大の蔵書家として有名。関西大学や大阪公立大学(旧大阪市立大学)へ寄贈して内藤文庫として名を残している。
国宝で最後に見たのが史記集解。南北朝時代に書かれた史記に関する注釈本を南宋時代に印刷したもの。史記が偉大な歴史書であることから、それを検証する書籍が多く書かれいる。同書と史記索隠、史記正義の3つの注釈書は特に出来が良くあわせて三家注がと呼ばれている。歴史書は勝者(生存者)の視点で書かれるため、注釈をつける意義が大きい。時代を経ると検証が難しくなるが、様々な角度で書かれたものが残れば、新たな解釈が見いだせる。注釈書は歴史学者たちの飽くなき探求心が詰まった書となる。また、内容だけでなく宋の印刷技術が優れていたことに加えて、綺麗に残っている点も国宝に選ばれる理由だ。