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国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

太刀 銘豊後国行平作 永青文庫

江戸川橋駅から永青文庫まで歩いて行くと、講談社鳩山会館といった文京区の名建築と出会える。急な坂を登り、永青文庫の案内看板を目印に路地に入ると和敬塾が名に入る。和敬塾は男子大学生寮前川製作所創立者でもある前川喜作が人材育成のために設立した。文科省事務次官だった前川喜平はその一族である。そして、その隣に永青文庫の正面玄関がある。

さて、展示は生駒光忠から数口挟んで古今伝来の太刀・銘豊後国行平が陳列されていた。古今伝来と名の付くのは、元々は細川家の中興の祖である戦国武将・幽斎が所持していたことに由来する。細川家は室町幕府において将軍を補佐して政務を総覧する幕府最高役職である管領を輩出する3家のひとつで、応仁の乱でも一方の当事者となった名門中の名門である。

この名門家の古今伝来の唯一の継承者であった幽斎が関ケ原の戦いの前、東軍に属して田辺城に籠城した際に、継承が途絶えることを恐れた八条宮智仁親王が開城を求めた。それを謝絶したことから後陽成天皇が勅使まで派遣して講和にたどり着いたことへの感謝から勅使の一人であった烏丸光広へ送った太刀が豊後国行平作である。明治に入って、細川護立が買い取ったことで、古今伝来の太刀が細川家に舞い戻ってきて、永青文庫への至宝となった。

作者の行平は反りのある刀に彫刻を行った刀工としては最も古い人物とされている。日本刀のイメージを形作った一人である。古今伝来の太刀は美しい反りがあることに加えて、他の太刀に比べるとサーベルのように細長い。ある程度の重さがあることで、切れ味が増すので、実践向きと言うよりも飾るためのものとなってしまっている。年月を超えて、元の持主の一族が所蔵する数奇な運命をたどった名刀である。

 

 

 

国宝拝観者たちの夢、千件越えをいつの間にか達成した。 毎年、国宝指定数が増えているので、容易にはなってきているものの、一つの目標が完結した。 次の1100件は果てしなく遠いので、1050件を一区切りにしよう。