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国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

【壬申の乱】崇福寺塔心礎納置品 近江神宮

日本史の教科書に出てくる初めての乱が壬申の乱だった。大化の改新(いまは乙巳の変というそうだ)とともに、1学期のテスト範囲で必死に覚えた記憶がある。鮮明に記憶する名称の展示会だったので、行くことに躊躇しなかった。詰め込み教育が役に立った瞬間だ。

壬申の乱大化の改新の主役である中大兄皇子天智天皇となり崩御してからの話。天智天皇の弟である大海人皇子(のちの天武天皇)が、天智天皇の息子である大友皇子弘文天皇)と跡目を争った、叔父VS甥の対決だ。結果は叔父の勝利。明治に入るまで大友皇子は歴代天皇には列せられなかった。

歴史は勝者が書くもので、日本書紀などにも出てるくる。と、ここまでならば天武天皇の英雄譚や連綿と引き継いだお宝などが数多く残っていそうだが、そうはならない。まず、天武天皇以降は女帝の時代に突入。流行り病が横行する時代であって、血統重視の女性天皇が誕生した。それに加えて天武系統の天皇称徳天皇で完全に途切れてしまい、天智系統の光仁天皇(歴史上で即位が最高齢の62歳)へと引き継がれた。蛇足だが、光仁天皇の長男である桓武天皇は、奈良から都を長岡京へ移し、平安京へと遷都した。天武系に世話になった人が多い奈良の地を嫌ったのかもしれない。

さて、今回は大友皇子をテーマにした展示会で出土品の出品ばかり。都を近江から奈良へと遷都し、天智天皇が築いた近江大津宮は荒廃したためだ。展示品には国宝の崇福寺塔心礎納置品もあった。これも出土品で、遺構内に合った死者を弔いための荘厳具で、藤ノ木古墳の出土品に比べると、こまかのものが多い。大津に都があったという視点での展示だが、古都という視点では奈良や京都が近いこともあり、地味な展示内容ではある。だが、そこそこ人が見に来ていた。大津市歴史博物館でしか出来ない企画展だった。

国宝拝観者たちの夢、それは千件越え。 毎年、国宝指定数が増えているので、容易にはなってきているものの、一つの目標である。 900件を超えた辺りから新規の拝見ペースが落ちているが、果たしていつ達成なるか。