747年の記録、大安寺資財帳によれば、大安寺には887名の僧が居住していたそうだ。大寺院であっただけでなく、多くの名僧たちが大安寺と関りを持っていた。先に出た空海はもちろん、鑑真を日本へ招請するため唐に派遣された普照と栄叡、空海や最澄と交流のあった勤操(高野山霊宝館開館100周年第Ⅳ期で見た国宝の肖像画がある)、また最澄の師にあたる行表も大安寺の僧であった。
東大寺大仏開眼の導師を務めた菩提僊那も大安寺に滞在していた。この菩提僊那をインドから招いたのが行基で、その師匠であり岡寺を開いた義淵僧正の像も出ていた。義淵は、元正・聖武両天皇の下で内裏に供奉した名僧であり、名伯楽として弟子に行基を初め、千手千眼陀羅尼経残巻の玄昉、東大寺初代別当の良弁などがおり、戒師の招請を懇願した道慈、道鏡なども門下だった。
義淵僧正坐像は奈良博に寄託されていて、仏像館でレギュラーのように展示されていた。その時は壁を背にしての展示していたが、今回は360度どこからでも見ることが出来る独立したショーケースに入っていた。正面からは何度も見ていたが、背中を見るのは初めてだった。木心乾漆造で作ることで、細部まで表現が可能で垂れ目のしわくちゃの顔が印象に残る。ただ、慶派の彫刻を知ると奈良時代の作品の域で、そういう意味でも時代を代表する彫刻である。