天台宗を盛り上げた初期メンバーとして、最澄、円珍、円仁がいるが、中期を盛り上げた人物として良源の貢献度が頭一つ抜けている。中興の祖といっても言い過ぎではない。
良源は第18代天台座主で、通称の元三大師という名で知られいる。東京会場では深大寺の巨大な元三大師像がお出ましになって、インパクトを与えた。良源は火災で大きな被害を受けた延暦寺を復興するため、角大師像や豆大師像、厄除け大師を描いた魔除けの護符を広めて普及させた。また、いまでは当たり前となっているおみくじの創始者でもある。ただし、おみくじは今のような運試しの形式ではなく、あくまでも進むべき道を訓するコンサルタント的なものだった。信奉者に対して分かりやすくて布教しやすいアイテムを作ることで全国的に人気となり、良源を祀る寺院は近畿だけでなく関東にも広まっている。
その良源が自身の亡くなった後のことを詳しく弟子に示した自筆の遺言状が遺告として伝わっている。61歳の時に書いたのだが、その後に病気が治って10年以上健在で、行基に次ぐ大僧正の地位にまで上り詰める。無事来れ名馬ではないが、名僧も長生きする。
遺告は草稿のようで間違いなどの訂正が墨で塗りつぶして書き直している。文字はすらすらと思うに任せて書いているので、読み返して修正を思い立ったのだろう。人生を悟ったことで、伝えるべきことを残そうとしている。まさに平安時代の終活の一場面が目の前で観ることができた。