金剛峯寺の正面の桜の木は、Ⅰ期では桜の散り際、Ⅱ期では新緑、Ⅲ期となり青々と茂っていた。
霊宝館見学も新館へ移動。記念撮影のパネルがなくなり、八大童子立像が陳列している運慶室の宇宙演出も終了した普段の展示へと衣替えしていた。しかし、名宝展の内容は充実していた。
Ⅰ期では武田・真田関連が展示していたが、今回は源義経関連が陳列。悲運の武将で人気の高い義経関連が高野山にあった。まず、国宝の宝簡集三十三に義経が高野山の所領を安堵した書状を展示。末尾にしっかり源義経と書かれており、来歴がしっかりしていることもあり本物間違いなしの代物。兄の頼朝と争って敗北したため、遺品は少なく大体の義経関連は眉唾物が多い。
源義経守本尊として持ち歩いたとされる千手観音菩薩立像も展示されていた。こちらは本当なのか微妙なところだが、奥州藤原氏の仏門への帰依の仕方を見れば、持ち歩いていてもおかしくはない。
元々は興福寺勧修坊にあって、その後に春日大社が所蔵となった義経の所用とされる籠手が国宝であるが、書の中にも義経の生きた証があるのは実務家であった証拠。文武に優れ過ぎたため、兄から疎ましく思われるのは足利直義の例にもあり、まさに歴史は繰り返す。