国宝を観る

国の宝を観賞していくサイト

国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

本堂 明通寺

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福井県小浜市は港町で律令時代が成立する以前から、日本海側の玄関口として栄えてきた。小浜から琵琶湖まで抜ける南北の街道は鯖街道と呼ばれ、海のない京都や奈良へ海産物を運ぶ重要な物流を担ってきた。海産物を都まで送った御食国のひとつとして、小浜を含む若狭は発展してきた。この物流を通じて、小浜は都の文化を受け入れてきたため、その名残が多いことから小京都とも呼ばれる。

都の文化を反映した行事としてお水送りがある。春を告げる行事として東大寺で欠かすことができないお水取りがあるが、若狭神宮寺ではその水を二月堂へ送る神事が行われる。東大寺二月堂の修二会で神名帳を読んで全国の神を招いたが、若狭神宮寺の遠敷明神が漁で忙しくて遅刻した詫びとして水を献上することとなったのが由来だそう。畿内と大陸の文化交流は瀬戸内の海路が中心だとばかり思っていたが、日本海側にもルートをもっていたことがヤマト王朝が勢力を拡大できた要因のひとつかもしれない。

若狭に目を付けたのは王朝だけではない。弘法大師空海も目を付けていたそうだ。若き日に仏教に目覚めて聾瞽指帰を書いた空海は、その後10年近くの行動が不明で大陸に渡る遣唐使に長期留学生として乗船する。この雌伏の期間に四国や吉野で修行したなどの伝説があるが、土木の知識を生かして辰砂(水銀)の鉱山開発をしていた可能性がある。この水銀は常温で液体となる唯一の金属で、唐では不老不死の薬と言われていた。これを若狭から輸出して、大陸に渡って時にその功績が認められて青龍寺の恵果から密教の奥義をすぐに教えられ、空海伝説が始まったという説がある。嘘か真かはともかく、認められるために努力したことは間違いない。

そんな小浜には国宝建築が2つあり、共に明通寺にある。見るためには海沿いからは少し山に入った場所にあり、周りからは遮断された空間となっていた。

明通寺は征夷大将軍坂上田村麻呂蝦夷たちの鎮魂のため開創したとされる。東北と北陸とでは距離があるように思うが、北前船では一本の航路となるため、畿内から東北へ出発する起点だったのだろう。また、真言宗御室派に所属しているのが空海との関係性に想像を膨らませる。

国宝の本堂は鎌倉時代中期のもの。中世密教寺院の本堂として典型的な五間堂で、単層入母屋造の檜皮葺となっている。珍しいのがご本尊の並び。薬師如来が中央にあり、一般的ならば日光・月光菩薩が両脇を固めるのだが、明通寺の両脇には降三世明王深沙大将となっている。それぞれ2メートルを超える仏像で、国宝建築内にあっても見劣りしない迫力ある仏像になっている。

国宝拝観者たちの夢、それは千件越え。 毎年、国宝指定数が増えているので、容易にはなってきているものの、一つの目標である。 900件を超えた辺りから新規の拝見ペースが落ちているが、果たしていつ達成なるか。