さて、桃山文化の祭典では甲冑や屏風などサイズが大きなものが多く展示している。小ぶりの作品では、三好長慶(後半は足利義輝)、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と同時代に京都を占拠し、天下を取った4名の肖像画が並んでいるのは、とても見ごたえがあった。そして、その展示の近くには同時代を生きた天皇たちの宸筆が並ぶのも粋な演出となっていた。
これら豪華なラインナップがあったためか、国宝でも扱いに恵まれていないものがあった。まずは三井記念美術館の志野茶碗(銘卯花墻)。こちらは先日行われた三井記念美術館の周年展示会では茶器のトップの位置に陳列され、ほかの展示物に比べても一角上の扱いとなっていた。しかし、今回は単独での展示はされていたとはいえ、あまり目立たない隅っこに追いやられていた。のんびり見ていた人は見逃しているぐらいの扱いだった。
そして、本阿弥光悦筆の舟橋蒔絵硯箱は単独展示ではなく、ショーケースに光悦グループとして展示。しかも、豪華な襖絵が終わって最終盤の刀剣と甲冑の間の手前にあったため、視線が硯箱から離れやすい配置となっていた。 そのため、足を止めて熱心に見る人は少なく。襖と甲冑の間の中休みの場所となっていた。それでも硯箱の蓋が独特に盛り上がっていることと、豪華な装飾がされていることから、桃山時代の派手さを象徴した作品であることは変わりがない。体育会系で派手好きの戦国時代の武将たちは差し詰め、プロスポーツ選手が金のネックレスをして契約更改をするイメージと重なってしまう。