国宝を観る

国の宝を観賞していくサイト

国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

羽黒山五重塔

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国宝の五重塔は9基指定を受けているが、羽黒山五重塔以外は西日本にある。東日本唯一の五重塔で、国宝の塔としても最北にある。

修験道の地である出羽三山に鎮座する塔は冬の雪深い中で長年耐え忍んだ力強い塔である。昨年が明治維新以来の内部公開あり、今年も改元に合わせた公開を実施している。内部にあるご祭神の扉は開いていないが、小野道風が揮毫したとされる扁額が内部でじっくり鑑賞できる。普段は外に飾っているそうで、風雨で傷んでいる部分まで見ることができる。

また、足場を組んで2階部分も見学できる。中の心柱がじっくり見れるが、木々の組み合わせで出来ている塔なので、地震の揺れを吸収する効果があると言われてもピンとこない。ただ、塔の内部構造が都で流行った技術で建てているので、修験道の情報網が技術の伝搬にも役立っていることを物語っている。

2階の見学を終えて、出口近くにある売店でVRの無料体験ができた。ゴーグルをかけて塔を見上げると内部が丸裸になり、心柱の位置関係が分かりやすく見ることができた。このサービスだけでも拝観料の元が取れる。こういったハイテク化は大賛成。拝観料の高い寺社仏閣でも導入して欲しい。

太刀 銘信房作 ・太刀 銘真光  致道博物館

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鶴岡藩徳川四天王の筆頭である酒井家が統治していた。上杉家の脅威を防ぐため、また加賀藩の前田家になにかあった場合の備えとして、要の位置に君臨した。

だが、江戸時代の260年あまり、戊辰戦争を迎えるまで大乱もなく、武家としては物足りない時代だったかもしれない。そんな平和な時代でも武士の魂を磨き、今日へ伝承したのが、国宝の太刀2振り。信房と信光はそれぞれ由緒正しき経歴を持った刀であると同時に、美しい姿を残している名刀。持ち主が転々とした刀があるなかでは、徳川四天王筆頭の名に恥じない行き届きである。

さて、この国宝よりも注目が集まっていたのが、吉光(名物 信濃藤四郎)。刀あるところ刀剣乱舞あり、というようにこの吉光もキャラ化されたひとつ。今回は黒の拵えといっしょに単独のショーケースで展示されていた。ファンたちは入り口近くにある国宝2振りを他所に、奥の吉光に釘づけ。鶴岡はそれほどアクセスのよい場所ではないにも関わらず、数十人は吉光目当てで来ていたように見えた。押しキャラのためなら遠方まで来るとは。と言いつつ国宝目当てに来ているのも同じ穴のムジナかもしれない。

大崎八幡宮

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伊達政宗が寄進して建てた八幡さま。大崎氏の居城跡地に建設したことから大崎八幡宮と呼ばれるようになった。仙台城跡から見ると北に位置していて、平泉や山形方面からの進軍を見張る絶好の位置にある。北の守りの要として役割を果たす。

国宝の社殿は安土桃山時代の文化をそのまま伝える建物。戦国時代の戦と戊辰戦争、太平洋戦争と、戦の度に文化的な建物は焼けてしまい、安土桃山文化の時期の建物では最古のものとなった。

きらびやかさでは日光東照宮政宗の霊廟である瑞鳳殿などに劣るが、大崎八幡宮の社殿のところどころに見せる派手さは隠せない。なお、市内の外れにあり、バス停から小高い山を登らないといけないので、少し覚悟が必要。

瑞巌寺 本堂と庫裏及び廊下

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2018年まで約10年の歳月をかけて大修理が行われていた宮城県・松島にある瑞巌寺落慶から1年が経ってようやく訪れることが出来た。

大修理が始まったころに、一度だけ松島を訪れたことがある。その時に、修理を終えたら必ず見に行こうと、工事中のお堂は拝観せずに後にした。それから東北の震災があり、美しく立派に並んだ杉木が津波で被災した。約10年前の訪問では境内の散策のみだったので、木々に囲まれたイメージが残っており、苗木が少し育った状態で時の経過があるにも関わらず被害の大きさを感じた。

さて、瑞巌寺の国宝は建物で、庫裏及び廊下、本堂となっている。入り口は庫裏で妙法院を彷彿とさせる立派なものである。廊下は鴬張り?なのか歩くたびに音がするものの、本格的なものでないのでたわんでいるだけかもしれない。

本堂は修理を終えたばかり。内陣の襖はすべて新調されていて、中国の故事にちなんだ黄金に輝く絵が描かれていた。一方で欄間などの彫刻は塗装もそのままで、二条城の彫を思い起こす技術の高さが際立っていた。本堂正面廊下の突き当たりから見える別の建物への移動する廊下には左甚五郎作の彫刻があった。日光でもそうだが、なぜ左甚五郎は一部分しか彫らないのか謎だ。

松島湾は多島美が魅力で、その島々が堤防の役割を果たしたため津波被害が少なかったそうだ。仙台空港の周辺などは津波で壊滅的な被害になり更地ばかりで、改めて自然の驚異を感じた。

普賢菩薩騎象像 大倉集古館

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大倉集古館の目玉展示は普賢菩薩騎象像である。平安後期の作品で、普賢菩薩の彫刻で唯一の国宝。また、寺社以外(臼杵市が磨崖仏を管理)で国宝彫刻を所有(寄託は除く)する唯一の私的博物館でもある。

彫刻に関して宗教関係以外に国宝指定はなく、ご朱印ブームと見仏マニア増加により公開の規模が増えてきている。また、東博では毎年のように宗派の総本山展が企画され、数多くの人が来場して大盛況となっている。そのムーブメントにあって大倉集古館の改装工事を終え、普賢菩薩騎象像と会える環境ができたのは喜ばしい。

さて、普賢菩薩騎象像を観る上で目に留まるのは像である。東寺展で唯一の撮影OKだった、帝釈天薩騎象像はイケメンの帝釈天に夢中になった。象も素敵だったが、普賢菩薩のほうは被覆していた部分から露わになった樹木の年輪すらいとおしく感じる。なぜなら、彫刻師が木の節目を吟味して選び抜いた角度で仕上げているので、年輪と彫刻の仕上がりが一致している。なので、経年で変化しているにも関わらず、その減り様が形通りに劣化している。そのため、彫り部分は年輪に沿った形で削げ落ち、自然体のに彫り進められている。日本庭園や盆栽などの時間経過を計算して作られた美に似ている。現代技術を持ってして、彫刻でここまで計算して作ることができるのだろうか。旧人の技術力、恐るべし。

古今和歌集序 大倉集古館

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大倉集古館が5年間のリニューアル工事を経て、久々の開館となった。それを記念して、同館所有の国宝3点が出品される「桃源郷展」が開催されている。ただ、3点同時には観ることができず、随身庭騎絵巻物は後半、前半は古今和歌集序がお目見えする。

集古館は中国風の建物で、竹林で囲って○○飯店と看板が掛かっていたら中国に来たと言い張れそうだ。向かいにある近代的なビルのホテルオータニ本館とは対照的で、歴史的な美術品を飾るにふさわしい。

展示は中国風のものが飾っていそうな雰囲気だが、2階で与謝蕪村・呉春が見た夢と題して、影響を受けたであろう作品も陳列していた。特に中国の桃の絵柄は独特で、絵画や陶器などに描かれて、桃色感満載の展示となっている。

さて、お目当ての国宝は1階で展示。古今和歌集序はカラフルな紙をつなぎ合わせてその上にさらさらと書かれた和歌が踊っているなかなか手の込んだ逸品。断簡され掛け軸や手鏡などで1枚1枚で観ることが多い中、巻物状態で観ることはそう多くない。手を加えていない無垢な巻物は、紙の色の違いと文字の勢いが直感的に伝わり、創作者のリズム感が伝わってくる。序なので、破、急ではないがこの続きを観たい、そんな和歌集である。

法華経一品経 慈光寺

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京都の泉屋博古館での「文化財よ、永遠に」を観た感動を再び味わう為、分館での展示会へ出かける。分館は東京・六本木にあり、京都と違い、周りは高層オフィスビルと大使館に囲まれた緑の少なく風情のない場所にある。

展示室は2室のみで東京館などの表記を避けてつけた分館の表現が正しい。スペースは狭いが、展示はなかなかの充実ぶり。鎌倉時代仏画から室町期に渡来した中国朝鮮と水墨画、近大の画家たち、池大雅円山応挙の名画が並ぶ。そのどれもが修理されたもので、修理前の解説がなければどこを修理したか分からない仕上がり。

国宝は慈光寺の法華経一品経と無量義経。慈光寺の経典は埼玉県立歴史と民俗の博物館で公開されたり、奈良博にも出品されたり、よく見かける。修理を終えたことで、展示が可能となったことが大きいのだろう。今回もその一つが公開。第1展示室の奥に展示しているが、周りが仏画水墨画に比べると地味。最初の金泥装飾は見応えがあるものの、書自体に派手さがないため、そのまま素通りされていた。総合展での書の見せ方は難しい。

国宝拝観者たちの夢、千件越えをいつの間にか達成した。 毎年、国宝指定数が増えているので、容易にはなってきているものの、一つの目標が完結した。 次の1100件は果てしなく遠いので、1050件を一区切りにしよう。