やまと絵展では受け継がれる王朝の美と副題がついている。武士政権の王位(厳密に言うと征夷大将軍職)が変遷するなかで、鎌倉期のマッチョな彫刻や室町期の水墨画など流行は変われど、王道絵画はやまと絵であった。戦国時代の下剋上では王道への憧れから、やまと絵を取り入れた狩野派が隆盛を極めた。
室町幕府の御用絵師となった狩野正信の孫世代である狩野秀頼。同氏作の観楓図屏風は季節と聖俗を混ぜ込み時間軸と社会階層の違いを一枚の屏風に閉じ込めている。下剋上ではそれまで家臣だったものが一夜にして城持ちや国持ちになれる。この表裏一体をやまと絵で表現し、紅葉の綺麗な高尾山を楽しむ構造へと落とし込んでいる。王朝文化を体現してきたやまと絵はメインカルチャーとなり、権力の象徴的な画風となった。見た目は王道のやまと絵だが、観楓図屏風はテーマを世俗的な庶民の花見文化、サブカルチャーを入れ込んでいる。このコントラストは当時の荒々しい戦国武将(クライアント)が理解できるテーマにも関わらず、見るからに豪華な作りに仕上げた力技で、狩野派がお抱え絵師に登る詰めるのも理解できる作品である。
狩野家は王道のやまと絵の技法を子供たちへ伝授した。その子供たちも伝統技法を身に着けながら個性を発揮した。江戸末期まで続く繁栄の礎を見た気がする。この後に出光美術館で見た江戸時代の美術(王道のやまと絵ばかりではなかったが)を見に行ったが、この流れで見たので大変理解が進んだ。アフターやまと絵?としての琳派や円山派など、江戸絵画の黄金時代前夜のやまと絵展は非常にわくわくした内容だった。