どうする家康の「どうする」は選択肢があって初めて出てくるフレーズ。個人的には武田信玄と相まみえた三方ヶ原の戦いが最大のどうするだったと思う。信玄の病状が悪化し難を逃れたが、当時の家康はどうすることもできなかった。再戦となる長篠の合戦では家康・信長軍が鉄砲三段打ちなど術中にはまり勝利を収めた。
この成果を喧伝するために作られた長篠合戦図屏風は信長・家康軍の武将名は金箔の上に書いて貼られ、対する武田軍は雑な扱いとなっていた。俯瞰して配置などが分かりやすく描かれており、歴史マニアは一日中見ていられる。この図を見ると、家康軍は最前線で死闘を繰り広げている。自分の領地内での戦であるので、どうするもこうするもなく、がむしゃらに戦ったことが分かる。
この長篠の合戦の一番の功労者である奥平信昌に与えられたのが大般若長光。足利義輝が三好長慶へ下賜したものが、やがて織田信長の手に渡り、論功行賞の品として渡された名品である。東博でも度々展示されているのを見たことがある。美術品としてはもちろん一級品だが、同時代を生きた品々が集まるスペースで見ると歴史的価値がにじみ出る。刀剣展などで数を集める展示とは違う、刀の来歴をじっくり知る展示方法もありだと感じた。