尾張徳川家の名品を中核にしてできた徳川美術館。すべてが名品の数々だが、その中でも個々に二つ名がついている「名物」を集めた展示会となっている。
名物は歴史に裏打ちされた名や、持主に由来する名、姿から取った名などがある。名物・津田遠江長光は長船派の刀工である長光の作で、長船派の祖・光忠の実施とされる人物である。長光の作品は6口が国宝、33口が重要文化財と非常に多い。なので、名がついているもの多く、代表的なものが東博所蔵の大般若である。
津田重久は明智光秀の家老の名前で、本能寺の変の直後に安土城を攻めた際に、織田信長所蔵だった長光を収奪した。山崎の戦いで明智が敗れると羽柴秀吉に仕え、秀次の配下となり遠江守を受領した。そこで津田遠江となる。その後、秀次が自害する事件が起こり浪人になるも、前田利家に召し抱えられる。前田家でも活躍して大聖寺城代まで累進した。
前田家に渡った長光は、第5代将軍徳川綱吉の養女である松姫を前田家に迎えるに合わせて降嫁の返礼として贈られ、現在に至っている。名物は謂れがしっかりとしており、名品に相応しいストーリがある。