国宝を観る

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国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

【川崎美】宮女図

神戸市立博物館で開催している「よみあげる川崎美術館」の後半に行ってきた。

川崎美術館は明治から戦前にかけて形成された川崎財閥の創業者・川崎正蔵が手掛けた招待者のみが見ることが出来た施設だ。ただ、昭和恐慌のあおりを受けて美術品は散逸してしまった。まさに幻の美術館。令和の時代に生きていたからこそ、揃った形で誰でも見ることが出来る品々となっている。

昭和恐慌で業績が厳しくなったということだから、川崎財閥グループは戦後に強くまとまることがなかったため、あまり知られていない。それでも名残はあり、川崎重工業はその筆頭。日本鋼管と統合してJFEとなった川崎製鉄も川崎の冠を使っていた。さらに神戸新聞社も系譜に入る。

川崎の夢が詰まった美術品は、主に東洋美術を中心に蒐集されていた。川崎財閥と美術といえば松方幸次郎の西洋美術が思い浮かぶが、競合するのを避けたのかもしれない。

展示構成は財閥の歴史から始まり、美術所蔵品をまとめた書籍、掛け軸、広間全体を使って当時の配置を再現した襖絵、陶磁器と続く。終わりに差し掛かった時に屏風絵のオンパレード。金箔に描かれたものが多いため、黄金の間のような輝きを放った空間となっていた。

そして、最後に国宝の宮女図がぽつんと展示していた。京博では龍光院曜変天目との同じ部屋で展示していた。曜変天目越しに宮女図を観る至福のひと時を堪能した。茶の湯展の前半展示を全うすことなく桃鳩図に席を譲って、神戸へ移動してきた。

宮女図は茶の湯で観た環境では、多くの書跡などに囲まれていて、茶会でも開かれそうな雰囲気があったため、かいがいしく世話を焼いているように見えた。それが単独だと物悲しく観えてしまう。宮女のみを描いていて、周りに風景などがないためなのだが、川崎美術館という仕えるべき展示館がなくなったという思いとオーバーラップした。松方コレクションにも言えるが一旦集結した美術品たちは時代に翻弄され、散り散りになっている。川崎財閥の美術品たちの流浪は叙事詩的で、宮女図はその語り部なのかもしれない。

国宝拝観者たちの夢、千件越えをいつの間にか達成した。 毎年、国宝指定数が増えているので、容易にはなってきているものの、一つの目標が完結した。 次の1100件は果てしなく遠いので、1050件を一区切りにしよう。