天平絵画の最高傑作だと思う薬師寺の吉祥天像。薬師寺での年始御開帳を除くと、直近では昨年にあべのハルカスで開催された薬師寺展へお出ましになったが、コロナウイルス蔓延のため二日間で休止となり、見ることができなかった。そして1年が過ぎ、龍谷ミュージアムのアジアの女神たちに1週間限定で展示されることとなり、会いに行くことにした。
アジアの女神たち集結はまるでミスコンアジア大会のようだった。インドから東南アジアの女神がグラマラスなのに対して中華圏の影響を受けている女神はスレンダーで、地域によって女神の定義が違っていた。
そんな中で吉祥天像はどちらかと言えばふくよかな感じで、衣装で体形は隠していた。太い眉毛も他の女神にない特徴となっている。絵のタッチからキトラ古墳や高松塚古墳などに近く、和様式が確立される以前に大陸から来た技工士が描いたためか、現在まで吉祥天の流れを汲む作品はあまりお目に掛かれない。まさに唯一無二の美人画で、製作から1000年以上経っているにも関わらず、色合いがはっきりと残っている。美術界では美人長命なのかもしれない。
さて、これだけ貴重な絵画に厨子の寄贈が箔を付けている。三井財閥を支えた明治の実業家で、茶人としても名の知れた益田孝が吉祥天像を保管するため、専用の厨子を造って寄贈している。その証拠に、裏側にはきっちりと名前が書かれていた。龍谷ミュージアムでは普通ならば見ることができない背面もしっかりと見える配置に陳列していた。高野山の霊宝館設立でも明治の実業家が関わっていたが、昭和や平成の実業家は個人単位で文化事業を支援する動きが少ないように思える。日本全体が一億総中流となったため、サラリーマン経営者が増えた弊害かもしれない。