国宝を観る

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国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

キトラ古墳

奈良県明日香村は戦後にようやくパンドラの箱が開いた古代ロマン薫る村である。

戦前までは聖徳太子以後の文明が日本史として語られ、それ以前のもの、特に古墳に関する研究は現人神たちの領域のためできなかった。森鴎外も帝諡考を残すぐらい研究はしていたがあくまで机上のことで、博物学の観点から実際に古墳などの調査まではできなかった。戦後になり、古墳のなかで天皇家の先祖が眠っているとされる陵墓は引き続き宮内省の管理下に置かれて調査ができないが、それ以外の古墳については進められた。

しかし、多くの古墳ではすでに盗掘された後で目ぼしいものが残っていないばかりか、墓の内部も荒らされていた。藤ノ木古墳のように副葬品が大量に残っていることは珍しく、大抵は運び出せない石室が墓であった証として残るのみである。石舞台古墳は埋められていたであろう石室がむき出しになって公開されている稀有な存在で、盗掘されたあとの石室は土に埋もれて小高い山と化すことがほとんどである。

そんな小高い山の内部で持ち運びができないで残っていたのが壁面の絵画である。埋葬者に寂しい思いをさせないために丁寧な図柄が描かれていた。エジプトのピラミッドでも描かれており、当時の宗教観を色濃く反映させたものに仕上がる。

キトラ古墳は横の壁に方位を表す四神と十二支、天井に天文図が描かれていた。陰陽五行思想をそのまま展開。大陸文化の影響下で作られた石室である。発見が1983年で、昭和の終わり頃の発見だった。それ以前に高松塚古墳が発見されていて、多くの失敗を経験していたことから慎重に調査が進められた。その結果かどうかは分からないが、現状保存することが困難と判断し、石面に漆喰を塗った上から描かれている絵のみをダイヤモンドワイヤーソーで切り取り、修繕保存する方法と採った。以後、2010年までに取り外し作業を完了し、2018年に国宝に指定された。(国宝などに指定されると現状維持が絶対となるので阿吽の呼吸で指定が発見から27年後となったのだろう)

取り外し後は、近くに特別な保管施設を作り、年に数回、本物を公開している。その公開に合わせて明日香へ行った。

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近鉄・壷阪寺駅から歩いて15分ほどの距離にある施設は、地下階に無料の紹介コーナーがあり、国宝壁画が眠る1階は特別公開のみオープンする。事前予約制でキャンセルの状況次第で当日でも見学できる場合がある。ただし、ほとんどキャンセルがないので、大勢で見るのならば予約は必須である。

予約時間に飛鳥資料館に入ると検温と予約の確認があり、チケットの代わりに胸に貼るシールがもらえる。これをつけて指導員の指示に従い1階の保存スペースに上がる。おおよそ15名が1組となって、展示スペースへ入る。最近造られた建物だけあって、見学の導線がきっちりしているだけでなく、スペースも十分確保しており、コロナ対策も万全であった。

入口近くに副葬品(複製)と説明文が並べられ、壁画は2面(朱雀と青龍)公開されていた。朱雀はほぼ完全体で残っていた。7世紀ごろの壁画が肉眼で見てもはっきりわかる状態で残っていることだけでも奇跡に近いが、そのデザインが現在でも通じるぐらいうまい絵で浮遊感はもちろん疾走感まで感じる素晴らしい鳥を表現していた。鳥の絵を見て感動したのは、初めて地獄草紙の鶏地獄の鶏を見て以来だった。一方で、青龍は残念ながらほとんど残っていなかった。唯一の痕跡は頭の描線とそこから出ていたであろう舌の赤色。同じ壁面に描かれていた擬人化された虎像は纏っている衣やこちらも赤色がくっきり見えた。見学時間はきっちり10分。

このスペースと建物ならば、常時の見学も問題ないように思えるが、保存のためには限定公開になってしまう。薄切り壁画は外に出すことは難しい。国宝に指定されたことで多くの人に見せられる環境となったことだけでも満足しなければなるまい。

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国宝拝観者たちの夢、それは千件越え。 毎年、国宝指定数が増えているので、容易にはなってきているものの、一つの目標である。 900件を超えた辺りから新規の拝見ペースが落ちているが、果たしていつ達成なるか。