尾形光琳が俵屋宗達をリスペクトしていたのは間違いない。風神雷神図屏風の模写を観れば明らかである。琳派の名前が光琳から取られてはいるものの、明治までの宗達の評価が低かった(光琳が高過ぎた)ことによるものであり、宗達あっての光琳の作風が誕生したことは疑いようがない。
さて、宗達の風神雷神図屏風へのアンサー作品はなにだったかと考えると紅白梅図屏風だと思う。風神雷神という神をモチーフにした宗達に対して、春に咲く若梅と老梅を対比し、真ん中に意匠的なデザインを配した川を描くことで、神様にはない時間の経過をも絵に取り込んだ。宗教的な題材では無限の時間を描き、風俗的な題材は時代か時間を描く。北斎の富岳三十六景も一瞬の時間を切り取った中に、あり得ない幾何学的なデザインを埋め込むことで人々を魅了しており、紅白梅図屏風にも共通した部分が多い。熱海のMAO美術館では正月明けに展示されることが多く、写真撮影もOKなので気軽に観に行ける国宝である。