国宝を観る

国の宝を観賞していくサイト

国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

【京博名品展】大般若経 太平寺

書籍エリアの展示はすべて国宝。しかも掛け値なしの名品と展示の少ない貴重国宝で固めている。

大平寺の大般若経長屋王が発願して作った経典。長屋王とは、天武天皇の長男である高市皇子の皇子で、天皇の孫にあたる嫡流筋の人物だ。しかし、藤原家との対立に敗れて自害した。そんな曰くつきの経典だが、常明寺にも残っておりこちらも国宝。同時期にMIHOミュージアムで展示もされている。

長屋王に関しては奈良県二条大路南で大量の木簡が発見され、そこが邸宅跡であったことが分かっている。ただ、その場所は商業施設が建てられ、記念碑のみが残る。平城京に近く、権力を持っていたことが分かる。

【京博名品展】秋景・冬景山水図 金地院

日本には四季があった。最近は暑い夏の後、すぐに冬が来て、ゲリラ豪雨の梅雨が明けると夏が来る三季になりつつある。せめて絵の中だけでも四季を感じたい。それを留めたのが金地院所有の秋景・冬景山水図だ。

夏は久遠寺が所有し、春は失われた。3幅すべてに足利義満所有の印が押してあり、室町将軍が所有した名品である。土佐派や狩野派などが描く襖絵など色鮮やかに作られた四季とは違い、モノトーンの絵が主張しすぎず禅様真っ盛りに好まれた作品らしい。四季に合わせて床の間に飾られただろうが、現代なら中間に豪雨の絵も必要になる。

【京博名品展】山水図 李唐筆 高桐院

今回の京博の企画展では、雪舟作品は展示されていない。日本の水墨画の大巨匠で、前回の国宝展前期には「国宝6点すべてみせます」と大々的にPRに使われていた。しかし、雪舟の画風は亜流に見える。極端な強調表現と軽やかな筆使いの部分を使い分け、コントラストで見せている。観ていると激しい感情を起させる。

その点、李唐の山水図は水墨画の弩直球で正統派。中国の水墨画と言えば奥深い山と底を流れる川、木々が少し生えて道がある。奥行きがあり、ゆったりとした時間の流れを感じつつ、その場へ引き込む。灌頂を押さえる効果があり、禅道にも通じる図となっている。

【京博名品展】十六羅漢像 清涼寺

国宝展では清涼寺の十六羅漢像の十六幅すべてを展示していた。今回は2幅のみ。

十六羅漢といえば、最近の京都の非公開では大寺院の山門に登る企画がある。大きな伽藍を持つ寺院の巨大山門を登った中腹部分にある楼上内陣には天井壁面画とともに仏像彫刻が安置されていることが多い。その中には十六羅漢も含まれており、リアルな老人たちの彫刻が日々寺院に参る人々を見下ろしている。

彫刻よりもリアル感は欠けるものの、清涼寺の掛け軸の羅漢たちも一見するとおどろおどろしい。十六羅漢禅宗で尊ばれおり、修行により痩せこけた老人たちが、なにか説教臭く描かれている。禅だけにそれぞれに意味があるはずだが、気にせず鑑賞した。

【京博名品展】孔雀明王像 仁和寺

密教特有の明王である孔雀明王。孔雀が毒虫や毒蛇を食らうことから、邪を払う象徴として明王の眷属となった。日本にも596年に新羅より輸入した記述が残っており、貴族のペットとして重宝されていたようだ。

普段見る明王たちが厳つい感じで描かれることが多いが、孔雀明王はけばけばしいほど派手。とにかく孔雀の豪華な羽根が目を引く。そして、それに負けず劣らず明王自身も派手な装飾を身につけて描かれている。差し詰め邪気を払う光り輝く正義の味方と言ったところだろう。

仁和寺孔雀明王像も派手な仕上がりで、儀式などで使ってはいるものの、レアアイテムとして使用頻度は少なかったことと大切に保管されてきたため、それほど損傷がない。正面を向いた平面的な図ではあるが、羽根などが紙面いっぱいに広がっており力強さを感じる。

さて、印象に残る孔雀の絵は円山応挙作なのだが、その孔雀に乗った明王がいるならばその美しさは想像を超えるだろう。近代絵画技法での孔雀明王も見てみたい。

【京博名品展】阿弥陀三尊像 普悦筆 清浄華院

1階入り口から一番遠い奥の小部屋で渡来図を展示している。

渡来品の質が最高潮に達したのは室町時代。九博の室町将軍展でも渡来品を日本風にアレンジして鑑賞していたことが分かる展示があった。日明貿易天龍寺船で得たものを愛でる。東山文化の誕生である。その中で国宝指定のものも多い。

清浄華院阿弥陀三尊像も貿易でもたらされた文化財南宋仏画の傑作で資材帳などから室町将軍が所有していた可能性が高い逸品だ。三尊が蓮の花に乗った立像姿は古びて色が薄く見難いものの荘厳な雰囲気を醸し出している。

中国の宋王朝は文化面に非常に力を注いたが、軍事面では全く良いところがなく、金に攻め込まれっぱなしだった。裏返せば軍事に力を注力しないと他の面で成長が望める。日本の高度経済成長も軍事の憂いがないために出来た。そんな最高潮の文化が日本に渡来し残っている。逆に中国では王朝が変わると前政権の否定があるため貴重なものでも残らない。良いものを良いと言える世の中がどれだけ重要か儒教の国では難しい思想なのかもしれない。

 

【京博名品展】五智如来坐像 安祥寺

ここ2年ほど京博に鎮座している安祥寺の五智如来像。この間に国宝へと昇格し、一部は新国宝指定のお披露目で東博まで出張展示。晴れで京博で5体そろい踏みの展示となった。令和最初の国宝指定の彫刻だが、すでに別の国宝指定も誕生しており、新鮮味はない。

平安時代前期の作品で、5体が揃っている最古の五智如来像。真言密教に由来するもので、平安前期は空海が日本に紹介して間のない時期。中国の様式を色濃く反映させた原種と言える。如来の違いは印の結び方で見分けるのだが、ピンとこない。出来るならば鎌倉仏師が作る像のようにお顔立ちで判断できるように作ってほしい(平安仏像がごりごりの原理主義に対して鎌倉以降の仏像をライト仏像というべきかもしれない)。

国宝拝観者たちの夢、千件越えをいつの間にか達成した。 毎年、国宝指定数が増えているので、容易にはなってきているものの、一つの目標が完結した。 次の1100件は果てしなく遠いので、1050件を一区切りにしよう。