国宝を観る

国の宝を観賞していくサイト

国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

【平成指定】土偶 茅野市尖石縄文考古館

平成の国宝指定でそれまで指定されていない分野が積極的に昇格指定いる。それは土偶などの考古分野である。

昭和の国宝指定は聖徳太子以前のものに関しては、積極的に国宝へと昇格させることはなく、中世以降のいわゆる「文字」文化が確立し、年代が間違いないものが中心だった。年代確定の問題は炭素年代測定の普及により、おおよその作成年代が確定できるようになり、解決したことで指定の足かせはなくかった。

そして、前衛芸術家たちの土偶や土器の調度品を越えた芸術性を高く評価する声とともに、国宝指定に弾みがつき土偶単独で計5点が指定、土器や出土品の一括指定も増えた。記憶に新しいところでは、東博で平成最後の夏の特別展が縄文時代だった。これは意図的に平成国宝史を総括する意味もあったかもしれない。

【平成指定】 木造薬師如来坐像 仁和寺

年末年始、「平成最後」というフレーズをよく聞いた。

そこで、平成に指定された国宝が気になったので、ピックアップしていく。

平成最初の国宝指定は仁和寺の木造薬師如来坐像だった。85年以来5年ぶりの国宝指定。仁和寺秘仏として大切に守られてきたものなので、人目に触れることがほとんどなく、截金細工が程よく残っている。また、超絶技巧として細かな彫刻で台座にも十二神が掘られているのも必見である。持ち運べる大きさのため、出先で祈りをささげるために作られたのだろう。モバイル仏像としては最高のものだ。

建物・仏像・美術品などを管理補修するためには学術的な調査が不可欠で、平成はその流れから指定されるものが増えた。誰もが知っていて素晴らしいものは当然、昭和時代に国宝指定を受けている。そういう意味において平成指定の82件余りの国宝にはそれぞれドラマがありそうだ。

浄土寺 多宝塔

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尾道は映画監督の大林宣彦や放浪記の林芙美子など文学的な町として、ファンたちの巡礼地となっている。山と海が接近しているというより、谷に海水が流れていると言った方が分かりやすい。

そんな景勝地としての魅力も商業地として発展なくしては誕生しなかった。明治を迎えるまでは大量運搬方法は船舶しかなく、江戸時代には大型船の建造が禁止されていたこともあり、小型船を近郊港で停泊しながら運行する必要があった。その中継地として尾道は優良な港で、九州と畿内の中間地であるばかりか、四国へ向かうにも島々があり寄港しながら行くことができた。船が寄港することから、商業は自然に起こり、金持ちの檀家たちが大きな寺院を寄進するようになった。狭い土地に所狭しと寺院が並ぶのはそのためだ。

さて、その中で尾道の東の端にあたる浄土寺は2つの国宝建築物を有する。国宝は本堂と多宝塔で、ともに鎌倉時代末期の建築物である。この二つの間に阿弥陀堂があり、ともに尾道市内では大きな建物ではある。しかし、ほかの寺院に比べて広々とした境内を有しているためか圧迫感はそれほどない。

それよりも境内には鳩がたくさんいて、えさも売られている。朱色に塗られた建物に舞う鳩たちは浄土へ導く儀式のようにも思える。金剛峰寺を思い起こす建物群ではあるものの、あちらと違って海が真下に見えるので、海の高野となるのだろう。

梵鐘 西光寺

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博多駅からバスで小一時間。田んぼがちらほらとある相良区にある西光寺には国内で5番目に古い梵鐘がある。山陰を転々として、明治期に金物商が購入、縁あって今に落ち着いている。

国宝の鐘の扱いは様々。東大寺のように現役のものものあれば、妙心寺では2代目にその役務を譲り本堂で余生を過ごしているもの、平等院や佐川美術館のように工芸品として保管・公開しているものもある。

ただ、地方の寺所有の鐘は扱いが微妙なものが多い。同じ福岡県にある観音寺の梵鐘は入れないように網で囲ってはいるもののふきっさらし。ほかの寺院では鐘のために新しい建物を作って保管しているところもある。

西光寺はというと新しく鐘のために建屋を作って保管している。しかし、その建屋の管理が微妙。まず、クモの糸がそこかしこにあり、清掃ができていない。そして、ガラス越しで見ることができるのだが、曇り過ぎていて近くにあるはずだがはっきりと見えない。これが国宝なのかというぐらいの扱いである。大切に保管されているのだとは思うが、訪問した人はかなりがっかりとした建物管理だ。

金印 福岡市立博物館

国宝展で一番人気だった金印。福岡市立博物館に常設で展示しているというので見に行く。

博物館の常設展入り口の一番最初に金印の間がある。そのためだけの部屋で、全角度から見ることができるように工夫されている。本体が小さいので、特別展などではどうしても近くで観てしまい、全体像を見た記憶が薄い。どこかで見たことがあるはず記憶をたどると九博にたどり着く。しかし、あちらはレプリカ。本物と混同して記憶に残っているが、市立博での見せ方の力の入れようを見てしまうと「本物はこっち」と思い起こすぐらい気合が入っている。

常設展示の入場料金は200円。普通の市立博物館ならそれぐらいで妥当かもしれないが、目玉の金印があるならもう少し高くてもよいと思う。駅から少し離れているのが難点で、福岡の名門学校・修猷を通り越した海辺の近くにある。金印を観るなら福岡市立博物館へ。(ほかにも金印を常設展示しているところはあるのだろうか?)

本山寺本堂

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本山寺

本山寺四国八十八か所巡礼のひとつである。開放感のある境内の中心に本堂があり、それが国宝の指定を受けている。巡礼地では松山の石手寺二門や大山寺本堂が国宝である。

本山寺は駅から近く参拝するには好立地である。また、八十八か所のひとつに選ばれていることから、そこそこの巡礼者が訪問する。標識もきっちりしていて、扱いは神谷神社とは雲泥の差。観光資源として四国四県総出で応援している雰囲気がある。

国宝の本堂は鎌倉時代に再建されたものだそうで、戦国時代に四国を統一した長曾我部氏が侵攻したときには、本堂と仁王門は焼かれずに済んだ。言い伝えでは、侵攻した兵が内陣を開けたら、阿弥陀仏から血がしたたり落ちていて恐怖で撤退したとされている。マリア像から血の涙とか、人形の髪が伸びるなど超常現象はいろいろあるものだ。この他の建物では五重塔が解体修理中で、もうすぐ終わりそうだったので完成後にもう一度見て観たい。

神谷神社

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神谷神社

香川県の国宝建築は2件。立ち位置の違いがこれだけ違うのも珍しいと思うぐらい、県内での扱いが違う。まずは扱いが悪い方の神谷神社。

行くまでの交通手段が雑。最寄駅からバスが出ているものの途中下車で、そこから2キロ近く歩く。そこまでならたまにある。しかし、国宝がある旨の標識がほとんどない。それどころか大道路から少し入った先にバスが通行できないとの標識が出てくる。これでは観光客も来ない。

ようやくそれらしき建物が出てきたが、肝心の国宝指定の本殿が塀に囲まれて見にくい。道理でアップされた神谷神社の写真がきっちりと写っていないわけである。ただ、非公開というものでは全くないため、がんばれば撮ることができる。もう少し神社に注目が集まるように努力すればよいものの、全くと言ってなにもしていない。お遍路や金毘羅があるため、扱いが悪い国宝である。

国宝拝観者たちの夢、千件越えをいつの間にか達成した。 毎年、国宝指定数が増えているので、容易にはなってきているものの、一つの目標が完結した。 次の1100件は果てしなく遠いので、1050件を一区切りにしよう。