尾道は映画監督の大林宣彦や放浪記の林芙美子など文学的な町として、ファンたちの巡礼地となっている。山と海が接近しているというより、谷に海水が流れていると言った方が分かりやすい。
そんな景勝地としての魅力も商業地として発展なくしては誕生しなかった。明治を迎えるまでは大量運搬方法は船舶しかなく、江戸時代には大型船の建造が禁止されていたこともあり、小型船を近郊港で停泊しながら運行する必要があった。その中継地として尾道は優良な港で、九州と畿内の中間地であるばかりか、四国へ向かうにも島々があり寄港しながら行くことができた。船が寄港することから、商業は自然に起こり、金持ちの檀家たちが大きな寺院を寄進するようになった。狭い土地に所狭しと寺院が並ぶのはそのためだ。
さて、その中で尾道の東の端にあたる浄土寺は2つの国宝建築物を有する。国宝は本堂と多宝塔で、ともに鎌倉時代末期の建築物である。この二つの間に阿弥陀堂があり、ともに尾道市内では大きな建物ではある。しかし、ほかの寺院に比べて広々とした境内を有しているためか圧迫感はそれほどない。
それよりも境内には鳩がたくさんいて、えさも売られている。朱色に塗られた建物に舞う鳩たちは浄土へ導く儀式のようにも思える。金剛峰寺を思い起こす建物群ではあるものの、あちらと違って海が真下に見えるので、海の高野となるのだろう。