福岡一文字派の代表工、吉房の作品。
古い刀は騎馬上で振るうことを想定して、かなり長く造られていた。そのため、時代を経るとともに使いやすい大きさに加工してあるものが多い。その簡単な見分け方として、柄が備えられる部分の目釘孔が複数空いているものは造り変えている証拠となる。同刀は一つしか空いておらず、原型に近い状態で受け継がれてきた。同刀は今見ると少々長い太刀に感じるのも改変されていないためかもしれない。
福岡一文字派の代表工、吉房の作品。
古い刀は騎馬上で振るうことを想定して、かなり長く造られていた。そのため、時代を経るとともに使いやすい大きさに加工してあるものが多い。その簡単な見分け方として、柄が備えられる部分の目釘孔が複数空いているものは造り変えている証拠となる。同刀は一つしか空いておらず、原型に近い状態で受け継がれてきた。同刀は今見ると少々長い太刀に感じるのも改変されていないためかもしれない。
2018年。世の中は大人数アイドルグループ人気のピークが来ている。おニャン子クラブに始まる大量アイドル生産は30数年の時を経てビジネスモデルを確立した。仏教界でも大人数仏全盛期があった。十二天像や十六羅漢、二十五菩薩、五百羅漢などがある。その中で、他で見かけないオリジナル大量仏集団が雲中供養菩薩52体だ。
すべての菩薩が雲に乗って、楽器を奏でていている姿は、ローラースケート(光ゲンジ)と演奏(TOKIO)を足したハイブリットアイドルを彷彿とさせる。堂内の高い位置に掲示されていて、52人すべて違う楽器を奏でていて、とても楽しそうだ。
二十五菩薩はお練りで今見られる仏になっているが、52人でも一度やってほしい。なお、お堂では国宝指定のものは半分の二十六体を観ることができ、残りは宝物館に展示してある。
浄土思想には阿弥陀如来がサポート役として必須である。阿弥陀さんが天から人々を救い出すために念仏を唱えて主張するというのが庶民信仰の定番である。そんな阿弥陀様を誰も観たことがない(はず)。しかし、阿弥陀如来と言えば平等院に坐しているものを無意識に想像してします。それは、平安仏師最高峰の定朝が造った仏で、それがデファクトスタンダードとなったためである。
それまでの仏像はどことなく大陸から来た人の雰囲気があり、輸入されたデザインであった。それが、遣唐使の廃止を引き金に国風文化が台頭し、仏像彫刻でも日本オリジナルが求められるようになった。そして権力者たちが喜び、誰もが観ていて心がほっこりする定朝様式が一世を風靡した。藤原氏の権力が定朝ブームを起こしたことは疑いようのない事実である。それに反発する慶派ブームが起こるのは鎌倉時代で、権力が武士の時代になってからだ。権力者が文化の成長も引っ張る。