近代的な都市を計画すると統制のとれた碁盤目状に整備することが多い。その方が効率的に都市計画が実行できるためだ。京都はその代表例である。
碁盤目状の配置は左右対称となるので、寺院を配置する時は東西対で作る。京都の東寺は現在も広い伽藍が残っているのでお馴染みだが、西寺は公園となっていて、ここに寺があったとは想像もできないぐらいなにも残っていない。
奈良でもそうで、東大寺は現在まで大伽藍が残っていて、世界中から来る観光客でにぎわっている。一方で、西大寺はそこそこの広さはあるものの、観光客はまばらで決して東大寺と対をなす存在とは思えない。
そんな西大寺の復興に尽力した叡尊像が平成になって国宝指定を受けた。鎌倉時代に殺生禁断したり、一部の仏教宗派が救済対象としなかった女性や貧者、ハンセン病患者などへの慈善事業や、宇治橋の修繕といった社会事業を行った。また、時の皇族、公家、鎌倉幕府からも帰依を受けた人物なので、公共事業の橋渡し的な活躍をしたともいえる。教科書では鎌倉仏教の開祖たちに隠れて地味な扱いだが、国宝指定を受けたことを機会にもっとメジャーになってもほしい。