文化財で制作過程では同じだったが泣き別れになり、文化財の指定がちぐはぐになることがたまにある。大和文華館所蔵の雪中帰牧図は南宋の宮廷画家・李迪が描いた騎牛と牽牛が2幅が対になっているいるにも関わらず、国宝指定は騎牛図で牽牛図は附となっている。同じように石川県立美術館所蔵の野々村仁清作の色絵雉香炉は雄が国宝、雌が重文となっている。
国宝の新指定を受けた金峯山経塚出土紺紙金字経は今でこそ保管されていたのが寺と神社ではあるが、もともとは一緒に保管されていた。修繕前後のものを展示していたことから朽ち方が同じようだったことから分かる。神仏習合の世の中が明治維新によって180度変わったことで寺と神社の別々に保管することとなったのだろう。
経典を書いたのが、藤原道長や藤原師通という平安貴族のスーパースターたち。まるで、有名人のサインが1000年を超えて、現代人が観ることができたようで、なんとも贅沢な空間であった。はやくすべての修繕を終えて、本格的な公開を実施してほしい。