天長印信とは、天長3(826)年3月5日に弘法大師空海が高弟の真雅に授けたといわれる奥義伝授の証明書(印信)のことで、醍醐寺座主かつ三宝院流正嫡のみが相伝できる至ものである。ただ、空海が伝えったものでなく、偽書であることが定説となっている。
とはいえ重要な証明書に変わりはない。南北朝時代に醍醐寺座主となった文観は三宝院流ではなく報恩院流であったため、相伝できなかった。そこで、主君である後醍醐天皇に天長印信の写しの製作を依頼し、伝空海の正本や伝勝覚の代の副本も散逸したため、醍醐寺の至宝となっている。国宝に選ばれたのは宸翰様と呼ばれる書風の代表例であるためで、和様に中国の禅林墨跡の書風を交えた書となっている。
書の名品として展示されることが多い中、今回は内容が重要で真言宗の経典瑜祇経の真髄を説いている。文観は後醍醐天皇に伝法灌頂(阿闍梨の位)を授ける一方で、天皇が醍醐寺を庇護する濃密な関係にあった。高野山金剛峯寺や教王護国寺(東寺)のように空海が設立に関与した寺院に比べて、醍醐寺は孫弟子の理源大師が開山し、醍醐天皇の祈願寺として手厚い庇護を受けた。正当性を示すため空海の教えを受け継いだ証明として、国家安寧に貢献してきた醍醐寺の価値ある文化財である。