国宝を観る

国の宝を観賞していくサイト

国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

【国宝】真草千字文

パソコンやスマホで文字を打つことがほとんどになったため、文字を書くことがほとんどなくなった。読み書きそろばんが勉強の基礎だった時代から、読み打つエクセルの時代に変化した。

真草千字文は書道の手本書。楷書と草書がそれぞれ書かれていて、それを見て書き写す。その手本中の手本として書聖王羲之の7世の孫・智永が作ったものだから、国宝になるのは当然。ましてや世界に真書として残っているのが、出品されているもののみだったら、漢字文化圏の東南アジアの宝といっても過言ではない。

ただ、文字がフォントになってきつつある過渡期に、真草千字文を観ると複雑な思いがあった。すぐに変換で超一流の字が出力できる。最近まで当たり前に習字をしていたのが遠い昔のことになっている。文化は日々変化していることを改めて実感した。

【国宝】油滴天目

油滴天目について観たことを書く予定はなかったが、気になったことがあった。

曜変天目に大興奮していたⅡ期。京博でも展示に力を入れて工夫していた。とくに曜変の輝きを自然に近い状態で見てもらうため、照明を自然光に近いものを真上から特別に設えて展示していた。(日曜美術館で紹介していた)

その照明をそのままに油滴天目も展示していた。そもそも油滴は漆黒の器の表面に無数の滴が散らばった文様があり、その文様の美しさがよさとなっている。曜変と違い文様は白く、輝きが変化する特徴はそれほどない。しかし、今回の照明下では器の底のほうの斑点は青白く輝いていた。油滴天目は何度か見ているが、これほどの輝きはなかった。

つまり、照明による演出で大きく変化していることになる。自然光に近い照明(同じ条件)で、曜変天目の残り2つも見てみたくなった。おそらくはこれまで見た輝きと全く違うものになるだろう。

【国宝】十二天像

国宝展ならではのコラボ、西大寺と京博所有の十二天像が一度に観ることができる。とくに火天は両方のものがⅣ期まで出品。戦火を逃れて現存する平安仏画は大変貴重である。前期で観た阿弥陀信仰とは違う、黄道信仰とでも言える天文学と地学を合わせた信仰が日本でも存在した証拠である。

【国宝】観音猿鶴図 牧谿

大徳寺は一休禅師が修行した禅宗寺院である。織田信長菩提寺があったり、千利休が自害した原因となった山門があるなど武家と関係の深い寺社である。ちなみに龍光院大徳寺の塔頭寺院である。

そんな大徳寺では毎年10月の第2日曜日に大徳寺では寺宝の虫干しを兼ねて曝涼展を開催している。寺宝は書、絵などの掛け軸を中心に観ることができる。どれも一級品で、国宝や重文クラスがところ狭しと虫干しされている。美術館などでガラス越しで観ているのとは違い、本物が目の前で風に揺られる風景は他で見たことがない。

信長や豊臣秀吉肖像画や大燈国師の書、数々の宸翰、有名画家の奉納品。どれもが貴重な書画であるにも関わらず、1番気にかかるのが牧谿筆の観音猿鶴図である。東山御物の名品中の名品で、南宋画の傑作である。特に猿に目を奪われる。あの毛並みのモフモフ感は他の作品では観たことがない。長谷川等伯は同作品に大きな影響を受け、枯木猿猴図を完成させたが、それすらモフモフ感が足りない。

国宝展では時空を超えて、同時代に作成された南宋絵画群に加えて、等伯の松林図屏風と共演している。飾っている部屋が違うので何往復化して見比べると大変楽しめる。

 

【国宝】金印

日本で最も知られる印鑑は金印だろう。漢委奴国王は中学生以上ならば覚えたはず。それほど有名な印鑑であるにも関わらず、本物を観たという人はそう多くない。詰め込み教育が為せる業だ。そのため、一目観たい人が多く、国宝の中でも人気・インパクトとともにスーパースター級である。

さて、本物は想像以上に小さい。考えてみれば印鑑が大きいと不便でしかたがない。ほぼ純金なので現在の価値に換算してもかなりのお値段になるだろう。

【国宝】伝源頼朝像

この絵のモチーフが源頼朝ではないとする説がある。見るとそれが誰であるか、そんなことはどうでもよくなる繊細な絵だ。黒い衣装は細かな文様が浮かび上がり、髭や髪の毛は一本一本丁寧に描かれている。同時代にヨーロッパにこれほどの肖像画があっただろうか。歴史的な検証も興味がわくことだが、純粋に美術品として堪能したい作品だ。

【運慶展】無著菩薩立像・世親菩薩立像

普段は興福寺の北円堂にいる無著菩薩立像・世親菩薩立像が東京へお勤め。北円堂では結界の中には入れないので近くでは見ることができない。また、位置が決まっているため、全体を眺めるのは至難の業であった。

近くで観ることができる東博では、指先の血管まで観ることができた。お堂内では他の仏像との対比で、それほど大きく感じなかった立像だが、実際は2メートルあり単独で観るとバスケットボール選手ぐらいあった。高さだけでなく、体つきも精進料理だけでは成り立たない筋骨隆々感がある。無著菩薩に至っては、顔がヤンキース田中将大投手に見えるため、一流アスリート感が半端なくある。

 

国宝拝観者たちの夢、千件越えをいつの間にか達成した。 毎年、国宝指定数が増えているので、容易にはなってきているものの、一つの目標が完結した。 次の1100件は果てしなく遠いので、1050件を一区切りにしよう。