国宝を観る

国の宝を観賞していくサイト

国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

木造聖徳太子・山背王・殖栗王・卒末呂王・恵慈法師坐像 5躯 法隆寺

f:id:kokuhou:20190322110614j:plain

法隆寺駅

法隆寺は国宝建築物保有数ナンバー1、国宝指定の彫刻保有数もかなりの数である。(三十三間堂の千体や平等院の供養菩薩など体数だと見劣りするが)。境内は国宝だらけの寺院である。

国宝の彫刻はすべてが建物内で保管している。なので、入場して見なければならない。まあ、当たり前と言えばその通りである。しかし、普段は秘仏木造聖徳太子・山背王・殖栗王・卒末呂王・恵慈法師坐像 はお会式の3月22日から24日にしか公開されない。そして、ネット情報だと供物が像の前にうず高く積まれているのでほとんど見えない。

f:id:kokuhou:20190322111906j:plain

そんな見ることが困難な像を間近で観る機会がある。お会式の前日に行われる逮夜法要が終わったのちに内陣まで入って間近で拝むことができる。

f:id:kokuhou:20190322111814j:plain

逮夜法要は3月21日の午後6時から始まる。ちょうど春分の日なので日没もその頃で、始まる前は少し明るかったが終わる30分後には真っ暗になっていた。室内はローソクの灯による幻想的な雰囲気で、法隆寺の境内についても夜間公開を前提にしていないので街灯類も少ないため、暗がりの中での神秘的な儀式となっていた。

10分前についた時には50人を超える人がお堂の中ですわってまっており、法要が始まってからも来た人がいたので100名を若干下回る人出になっていた。法要は左右5名とメイン1名の11名で行われ、左の部屋内にリズムをとるための雅楽師が控えていた。お経が読み上げられ、途中に両サイドのお坊さんが散華を蒔いていた。これは持ち帰ってもいいようで、先頭で入って内陣見学した人が像を見るよりも先に拾っていた。なので、最初に来ていた人はそれが目当ての人だったのだろう。

法要が終わると、内陣に順序良く案内。100名近い人がいて、照明がローソクだけだった。おまけに床と畳に段差があってこけてもおかしくないため、なんども注意喚起していた。

さて、肝心の像だがネット情報ではライティングがされていないため非常に観えず辛いと書かれていた。しかし、今回は像が安置されている3か所それぞれに照明が焚かれていて非常に見えやすかった。時代の変化に寺院側も配慮していただいたのだろう。そして、国宝の聖徳太子像は、お札にもなった肖像画のか細さと違う非常に凛々しく男らしい像だった。顔の輪郭が四角張った造りで、高橋英樹ばりにデカく感じた。そのほかの4体はユーモア溢れるもので、いたずら好きのかわいらしい像だった。東大寺の良弁がリアル路線の像であるのに対して、亡くなって500年後の平安時代に造られた像だけに、漫画チックな面が全面にでている。ちょうど香雪美術館で鳥獣戯画の公開がはじまっているが、平和が続いた時期だったこともあり当時の流行だったのかもしれない。

梵鐘 延暦寺西寳幢院鐘

国宝の梵鐘はほとんどが寺社の所有である。現役のものもあれば、二代目に現役を譲り引退、陳列展示されているもの、特別に建屋が作られ保管されているものなど、様々な扱いがなされている。
国宝梵鐘にあって、異彩を放つのが佐川美術館か所有する梵鐘である。宗教的な意味合いでの梵鐘の扱いは皆無で、美術品として陳列される。なので、常設ではなく、テーマにあった展示があった時のみ展示がある。今回、平山郁男の仏教をテーマにした展示の一環で久し振りの展示があった。
ちょうど平山郁男の延暦寺の絵たちの中心に梵鐘が陳列されていた。のっぺりとした表面に、鐘を釣り上げる部分のみ意匠がある程度。しかし、鐘の中に来歴が書かれているため、国宝につながった。美術品として、それ程素晴らしさを感じないが、延暦寺の歴史が染み込んだ梵鐘と思うと感慨深い。

【平成指定】木造千手観音立像 三十三間堂

彫刻仏像分野で千体も一度に指定した珍しい国宝。平成に入り、調査、修理が行われた。そこで多くの発見があったことが指定に繋がった。
しかし、それを待つまでもなく、同時にあれだけの仏像を作り、現代まで残っている時点で国宝でもよかったかもしれない。
また、制作者は仏像作りのゴールデンエイジが集まる鎌倉仏師たち。一点一点が個性があり、作品として素晴らしい。それが千体もあり、どんな願いでも救ってもらえそうだ。
修理により黄金の輝きを取り戻した千手観音は劣化する前に観ておきたい。

周茂叔愛蓮図 狩野正信筆

九博は新しく出来た博物館のため、国宝の所有数がほかの国立博物館に比べて少ない。所有しているのは3つ。太刀 銘来国光が東博栄花物語文化庁からそれぞれ所有を移管。そして、目玉となる作品として個人蔵だった周茂叔愛蓮図 狩野正信筆を購入した。

狩野正信は狩野派の祖。周茂叔愛蓮図は北宋の故事にならった中国風の画である。湖に舟を浮かべて蓮をめでる風景を描いている。正信の先品は狩野派展などで、全国行脚していることが多く、なかなか九博で見ることがない。しかし、この人がいなかったら豪華絢爛の桃山文化がなかったと思うと、全国行脚も納得である。

銅板法華経(33枚)・銅筥(1口) (所有者:国玉神社、管理団体:福岡県、求菩提資料館保管 1142年)

求菩提資料館に複製品が常設展されている銅板法華経と銅筥の本物が、九博の企画展で展示されている。

九博は時代別に展示が行われている。なので入口すぐに古代の展示があり、そこには国宝の宗像と宮地嶽一括出土品が展示されいて、見ごたえがある。そこを抜けたテーマ3エリアに銅板などがあるため、一見すると見逃しかねない。

銅板法華経はCDアルバムの大きさぐらいで紙ジャケットを彷彿とさせる薄い銅板にぎっしりと法華経が書き込まれている。それを収めるボックスが銅筥で、差し詰め紙ジャケ仕様のコンプリートボックスといったところだ。ボックスの表面には仏の線が描かれ、限定品の豪華特別バージョン。再現したものが売り出されていたら経典マニアに売れること間違いなし。今なら先行予約で解説本付とかで、通販番組に出品していてもおかしくない。国宝の仏像フィギュアの次は書好きのお経マニア向けが流行るかもしれない。

【醍醐寺展】 後宇多天皇宸翰当流紹隆教誡

九博の開催中の醍醐寺展の後半に行く。

後宇多天皇の宸翰(直筆の書)は東寺や大覚寺神護寺所有のものが国宝となっている。後宇多天皇は2歳で皇太子、8歳で天皇となり、21歳で譲位した。若くして天皇になるが、その頃の政治は院政と藤原家の摂関政治の板挟みであった。また、譲位した時には後深草、亀山の両上皇が健在で、院政を独占するにも一苦労だった。そして、後宇多法皇が(息子の言うことなので仕方なく)院政に終止符を打つことで後醍醐天皇の親政が始まり、歴史は大きく変化することになる。

そんな後宇多天皇密教を力の源泉としたようで、多くの書が真言系の寺院に残っている。醍醐寺展では後半の初めだけ後宇多天皇の宸翰が展示している。長寿延命を願ったもので、どの時代も権力者の欲望は長生きになる。

片輪車蒔絵螺鈿手箱

f:id:kokuhou:20190306163106j:plain所蔵品の多い東博では企画展(入場料だけで観ることができる展示)に見たい国宝が良く出てくる。ホームページに年間スケジュールが掲載されるので、観たいものがあれば日程を合せて訪問することができるのでありがたい。

その観たい国宝のひとつであった片輪車蒔絵螺鈿手箱が出てきた。2年前にサントリー美術館で行われていた神の宝の玉手箱展では片輪車螺鈿手箱(東博所有)が出品されていて、いつか蒔絵螺鈿手箱もみたいと思っていた。

今回、企画展で出品されており満を持して観ることができた。そればかりか写真撮影もOKとのこと。精密で豪華なデザインではあるが、派手ではなく気品が漂う造りなのがとてもよい。現物を目の当たりにするとずっと眺めていたい衝動に駆られるが、周りの目もあり遠巻きに観てしまった。

愛知県美術館

検索トップ | コレクション検索 | 愛知県美術館

二次使用OKとの記事を読んだが、海外の美術館ではバーチャルの世界での拡散が集客につながっているし、拡散を止めるのは時間も労力もかかるので、公式が拡散して利用する方がメリットがある踏んだのだろう。だが、やはり現物の素晴らしさには適わない。観て初めて分かることもあるので、国宝出品のスケジュールチェックはまだまだ欠かせない。

www.tnm.jp

 

 

国宝拝観者たちの夢、千件越えをいつの間にか達成した。 毎年、国宝指定数が増えているので、容易にはなってきているものの、一つの目標が完結した。 次の1100件は果てしなく遠いので、1050件を一区切りにしよう。