天皇自筆の文書を宸翰と言う。中国の皇帝自筆はなんと言うのだろう。そのような疑問を持ちつつ、南宋初代皇帝である高宗筆・徽宗文集序を眺める。
南宋の初代皇帝という肩書を見ると下剋上的な活躍があったようにも思えるが、金軍侵攻で父である徽宗をはじめ多くの親族が捕らえられたために南下した場所で皇帝となっただけである。皇帝となった後、金軍との交戦を出来るだけ避けた戦略をとった。なので81歳と長生きであった。
そんな高宗が紹興24(1154)年、47歳の時に書いた序文で、父・徽宗の文集百巻に対するプロローグとなっている。1127年の金軍侵攻後、1135年に徽宗は亡くなり、長兄の欽宗(金軍侵攻前に皇帝となっていた)は1141年に天水郡公に改封された。主戦派や皇帝としての正統性(兄も健在)もあり、高宗は内憂外患であった。そんななかでも父の徽宗リスペクト本は、せめてもの抵抗だったのかもしれない。