名物会津新藤五は写真の通り、スマートな短刀である。直線的ですらっとした形状と乱れの少ない刃紋、刃先に沿っての曲線美と非常にクールな姿をしている。作者の新藤五国光は粟田口国綱の子というのが通説がある一方で備前三郎国宗の指導を受けて大成したとされるサラブレッド。短刀を得意としており、国宝指定を受けている3口すべてが短刀である。
会津の名は持主であった蒲生氏郷の領地からきている。蒲生氏は近江の六角氏滅亡後は織田信長の配下になり、柴田勝家の軍団に所属した。氏郷は父・賢秀と共に数々の武勲を立て、本能寺の変後は羽柴秀吉と歩調を合わせた。小田原征伐を終えた1590年に会津を拝領。伊達政宗をけん制する役割を担う。この頃にはすでに国光を持っていたようで、会津はそこから来ている。さて、蒲生家は安泰とはいかず、1595年に氏郷が急死したこともあり宇都宮へ減封された。国光は家臣へ渡り、前田利常が買い取って、前田家から徳川家へ献上した。
備前三郎国宗と同じ空間で見ることが出来るふくやま美術館はなんとも贅沢な空間となっている。